父方の祖父母の家は八百屋だった
たまに訪ねていくと
おおきなトマトを切ってくれる
塩をかけてくれる
キュウリを棒状に切って
味噌をつけて
お食べと
出してくれたりする
ぼくは幼児だ
そんな野菜のほうが
甘くても
汁でべとべとするネーブルより
なんとなく楽しかった
もちろん
切りわけた真夏のスイカを
いくつも食べられるのはうれしい
もうお腹をこわすから
と止められると
いよいよ
お盆の上の残りが
うまそうに見えてくる
でも
けっきょく
残りの数切れも
食べさせてもらうことになる
だって
冷蔵庫なんか
ない時代だったのだ
大きなスイカの球を切り分けたら
はやく食べ終える
そのためには
みんなでちゃぶ台に集まって
みんなで食べる
みんなでいる必要がとにかくあった
そんな時代だった
冷蔵庫や冷凍庫が発達するような時代は
やはり
悪い時代ではないか
とぼくは思う
みんなであることを壊したのは
冷蔵庫や冷凍庫
その他
もろもろ
人は
器具や機械や環境に
ほんとに左右され切ってしまうものだから
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