心弱きそのときどきのことば皆すでに未来に裁かれてあり
佯(いつは)り生きいつはり切れぬ心ひとつ孤独の歌と人はよむの み
森くらくからまる網を逃れのがれひとつまぼろしの吾の黒豹
近藤芳美
醜いのは現在の政権と
そこに群がる人たちだけなのだそうである
ある種の思考傾向の人たちによれば
このあいだ
サル山のトップが代替わりしたそうだが
賞讃だの
感謝だの
感動だの
ポジティヴ・シンキングの披露大会みたいだったそうじゃないか
美しかったんだろうねぇ
感動的だったんだろうねぇ
感謝感謝に感涙で
まるでマリア様の御顕現のようだったんだろうねぇ
アジアの同胞のスマホ会社にネイティヴアメリカン虐殺の末裔連中 が
恥も外聞もなく国家総出で牙を剥いてるが
ちったァ大人になれよ
って
天照大御神と神武天皇の末裔はなぁんにも言えない
と来らァ
骨の髄どころかDNAの隅々にまで敗戦が染み込むと
こうなっちゃうんだね
こうなっちゃうんだね
あゝ、憂国!
憂国詩人はいないのか?
国士はもういないのか?
三島先生!
先生の危惧された通りの出がらしの出がらしの国殻であります!
「 戦後の平和主義はすべて中共とソビエトの共産主義的工作であった !」
「それがまだ大学や官庁には忍び込んだままでいる!」
と洩らしたりすれば
たちまち右翼とレッテル貼りされるのだが
ぼくは洩らしたりしているのではない!
ちゃんと「」を付けて引用風に書いているだから
ぼくのコトバなんかではない!
この「」の使い方は今では当たり前に広がっているが
これはサルトル学者平井啓之先生の友人が『週刊新潮』 で編み出した
責任を取らない週刊誌的手法である!
平井啓之先生はたびたび言っていたものだった!
「あいつ、あんな卑怯な表現法を使って、 人目をとにかく惹くように無責任な書き方を続けているんだ!」
平井啓之先生は第三高等学校時代に林尹夫の親友で
林尹夫は『わがいのち月明に燃ゆ』 で有名な学徒動員の戦闘機乗りだった
米軍機に打ち落とされて落命したが
直前まで英仏独の読書に余念が無く勤勉な学徒だった
どうして平井啓之先生のことを急に思い出したのか?
加藤典洋さんが亡くなったからその関連で思い出したのだったか?
彼も平井啓之先生の教え子のひとりだったから?
だが
そうではない
「」について平井啓之先生がいつも洩らしていたコトバを
ひさしぶりに強く思い出したからだった
平井先生
この列島は精神的には大変なことになっちゃっていますよ
三島先生
あの史上希なまでに真に醜い帝国にここまでデロデロと付き従って
これって
一種のナマコですかね?
人間ナマコ
ナマコ人種
とはいえ
ナマコはこりこりした食感を楽しむものであるから
この骨なし列島民をナマコに例えたりしてはナマコに失礼かもしれ ぬ
ナマコは『延喜式』にも出ておるネ
もう1000年以上のつき合いなのであるネ
それにもかかわらずこの列島民はこりこり感を保つすべを
ついにナマコ先生には学ばなかったと見えるネ
あゝ、ナマコ先生!
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