ツイッターをつらつら
ついった
ついった
眺めていると
みんな
偉そうになにがしか言ってるんだよな
マイクがじぶんのところにくると
さんざんぱらしゃべり続ける人がいるが
ツイッターというのは
そういう人を引きよせるハエ取り紙
ちょうど政治が
権力おたくを引きよせるハエ取り紙であるように
ゲンロンのジユーだそうだから
ツイッターマイクでしゃべり続けてても
そりゃけっこう
読んでるとけっこう
楽しいもんでもあるからぼくは嫌いじゃない
むかしモリエールは床屋に座って
民衆があれこれしゃべるのを聞き続けて
劇のネタに仕込んだものだったから
今じゃツイッターも大事な床屋談義の場
それにしても
みんな
偉そうになにがしか言ってるんだよな
なにがしか言いたがるんだよな
ツイッターマイクでしゃべり続ける人たちは
なぁんにも行動しない人たちだから
べつになにをどう言い続けても迷惑にもならないんだが
ああ似てるなあ
と思う
むかし大きな短歌結社にいた頃
世の風潮を嘆いたり
政治の右傾化を嘆いたり
人心の荒廃を危ぶんだりする
今ふうに言えば意識高い系短歌がなんといっぱい
毎月毎月生産され続けていたことか
それに似てるなあと思う
言っちゃいけないだろうなんて思うのでないが
歌っちゃいけないだろうなんて思うのでないが
そんな歌が並ぶのを読んでいくうち
どうしようもない場末感が染みてくるようで
引かれ者の小唄
世をすねただけの者の大言壮語ぶり
歌っていうのはひたすら侘しいもんじゃあねえか
と思わされ
去ったのだったなあと
思い出す
言っちゃいけないだろうなんて思うのでないが
歌っちゃいけないだろうなんて思うのでないが
そんな歌が並ぶ侘しさは
そんじょそこらの墓場の光景どころじゃない
黙って地上のひかりや闇のなかをたゞ歩きでもしたほうが
よっぽど価値ある時間となろうにのう
と思わされ
毎月毎月数百人や場合によっては数千人の歌が卒塔婆のように並ぶ
結社誌をめくるのをだんだん止めていったものだった
ひとくちに詩歌といい詩句というが
群れる連中というのがいる
醜いやからだよ、ほんとに
大将をつねに先生と呼ぶのを強いられ
大将をつねに尊んで大将のどんな作品も褒めたたえ
大将は若い女性会員に性供与を強いて
会員が歌集を出す時には
後書き書いてやるからハイ50万円
帯書いてやるからハイ20万円
もちろん税務署には申告なしですっぽり懐へ
いま話題のIRどころじゃない隠密の制度がしっかり出来ている
そんな光景をぼくはぜんぶ見たよ
そして大将連中が死に切ったらぜんぶ実名で暴露するつもりで
溜めているんだよ、ネタを
やっぱり小説の形体がいいだろうねえ
自由詩形ではうまくいかないよねえ
なあんてことを
ツイッターをつらつら
ついった
ついった
眺めていると
みんな
偉そうになにがしか言ってるから
思ったりしちゃう
むかしのことなんかを
思い出しちゃったりしながら
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