2020年2月4日火曜日

「不意の要請」という事態


En somme, la situation c’est de la matière : cela demande à être traité.
Jean-Paul Sartre : La Nausée(1938)



あまりに多くのことが同時に起こっていて慌ただし過ぎるので
世界のことなど無視することにしよう
と思ったりすることもあるが
そもそも世界で起こっているかのようなあまりに多くのことは
文字や音声や映像として意識に入ってくるだけなので
無視するもなにも
世界そのものなどまったく届いてきてはいないじゃないか!

友人の
世界概念の研究を専門とする哲学者ガブリエル君などは
「そもそも君の言う『世界』なるものは
「あまりに吟味されていなさ過ぎる浮薄なレッテルに過ぎんよ
と手厳しいことこの上ない
「君の使う『世界』なるものの境界線はどのようであるか
「そして内包される諸要素の属性はいかなるものであるのか
とまことにうるさく追及し続けてくる

しかし
いかに曖昧に性急にぼくが「世界」という語を用いてしまうにしても
その曖昧さや性急さにこそぼくの「世界」が
まさに克明に顕れ出ていると言えるのではないか
その顕れの疑いのなさについて
ガブリエル君
君は疑義を差し挟むことはできず
そればかりか晩年のハイデガーのように
本来哲学用語ではない語を哲学することが君には不意に要請されたのだと
言い得ないであろうか
すなわち君は「曖昧」や「性急」を21世紀的状況における
哲学用語として直視することに不意打ちされたわけであり
それを逃げるわけにはいかないのである

こう言いながら
哲学者が逃げようもないこの「不意の要請」という事態を
哲学化するのはなかなかいい手じゃないかと思えた
あらゆる思考は不意打ちによって瞬時に強いられるものであるのだから

ま、ひさしぶりにサルトル的な措定法かもしれない

そうだ、先週読み直していたサルトルの『嘔吐』には
アニーに語るロカンタンが
「結局、状況というのは物質なんだよ」
と言っているところがあった
マチエールという語を「物質」と解していいかどうか悩んだが
そのほうがすこぶる1938年のサルトルらしい理解だと思える…

どうかね、ガブリエル君?




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