もっとよく触れるために離れること
ミシェル・シュネデール
近づき
遠ざかり
また近づき
さらに
遠ざかっていく
サイレンが
聞こえる
シン・コロナのせいで云々
しかし
わたしの生活の生活そのものの部分はほぼ変わらなかったし
飲食店や劇場が閉めさせられたといっても
そういうところはほぼ利用していなかったし
人民大衆の外出の激減した東京都心は無人リゾート化したし
もともと店舗は冷やかししかしない散策者わたしには
毎日数時間あまり人とすれ違わずに歩ける環境が得られたし
(むかしアングラ演劇に関わっていたわたしは
(劇団を去って以降はきっぱりと演劇に冷たい
(演劇は悪しき集団性の時代錯誤な珊瑚礁だからである
(戯曲は好きだが印刷物で読めば十二分どころかさらに良い
(ミュッセの「読む演劇」論に賛同する
(役者や演出家をわたしは徹底的に除外したいのである
(また安ワインに数千円ふっかけて平気で出してくる類の
(そもそもがボッタクリの飲食店系には
(ザマアミヤガレ!と思って数ヶ月を過ごした
などなどなどなどなど
家で食事を終えてちょっとボーッとしたり
トイレに入ってズボンやパンツを下ろしたりする時に
シン・コロナのまとめを
古びた起動の遅いパソコンを点けた時のように
してみたりする
というより
勝手に思念はそんな活動を始めたりする
近づき
遠ざかり
また近づき
さらに
遠ざかっていく
サイレンが
聞こえる
(あゝ、夏祭りの街に繰り出してみたい!
(夏祭りに参加するのは厭だし
(屋台で下らないけっこう値の張るC級ものを買いもしないが!
(夏祭り!
(という言葉が
(祭りなのだ、わたしには!
マスクが欠乏したこともなかった
そもそもインフルばやりの時に
そして
花粉症の時期が来る前に
毎年ちょっとは買っておくのがならいだから
数百枚は在庫があったので
あまり気にも留めなかったのだが
それでも
世間がマスク!マスク!マスク! しているとこっちも乗じたくなって
ドラッグストアを覗いてはマスクないねえ!まだないのかい?
などとウキウキ
マスクはそこそこあるのである はじめから 家には
でも
けっきょく3枚しか使わなかった
(これはすでに何度か自由詩形に注入した
(いいネタであった
(自由詩形にはネタが要る
(だから数十年のあいだ左翼にも右翼にも愚者たちにもつき合い
(ネタ帳をいっぱいにし続けてきた
(シン・コロナもいいネタだった
ほんとだ
マスク
3枚しか使わなかった
4ヶ月で
近づき
遠ざかり
また近づき
さらに
遠ざかっていく
サイレンが
聞こえる
わたしは勝ったのか
そこそこ勝ったのか
今年は正月から京都で過ごした
The Thousand KyotoのScalaeでは豪勢なディナーを味わった
シェフもス・シェフもソムリエも
けっこう楽しい出し方をしてくれた
今年はレストランの企画をどう進めていくかねえ
なんて
話していたが
ちょっと
シン・コロナされちゃったよね
わたしは勝ったのか
そこそこ勝ったのか
あゝ たったひとりの二尊院(毎年恒例の)
あゝ はじめて訪ねた紫式部御墓所
あゝ ひさしぶりの上賀茂神社
あゝ 鴨川沿いをひとりゆらゆら北大路まで
あゝ 大垣書店でやっぱり買ってしまう京都本二冊
わたしは勝ったのか
そこそこ勝ったのか
秋からシン・コロナの凶暴な第二波が予想されている
シン・コロナ以上の致死率を発揮する複数のウイルス投入も
すでに複数の裏情報で予想、いや予言されている
これを生き延びられるのは20億人程度ではないのかとも危ぶまれ ている
なおもわたしは勝つのか
なおもそこそこ勝つのか
ジョン・キーツさん
「否定的能力、すなわち、不確かなもののなかに身を置く能力」
「性急に事実と理由の探求に身を投じたりしないこと」
近づき
遠ざかり
また近づき
さらに
遠ざかっていく
サイレンが
聞こえる
サイレン、
セイレーン、
河の神アケローオスの娘たち
あるいは海神ポルキュスの娘たち
オデュッセウスのように
魔女キルケーの助言にしたがって
耳を蝋で塞ぐべき時?
それとも
アルゴ号の乗組員たちのように
オルフェウスの神々しい歌声に意識をむけて
セイレーンに
耳を貸さないようにすべき時?
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