2022年5月15日日曜日

「私は彼を潜在的な敵と見なすべきなのだろうか?」



買い物など

ちいさな用事で出かける時

ちいさな本を持って出る

 

エレベーター待ちをしたり

電車待ちをしたり

電車のなかで大きな本を出すのが

めんどうな時などに

ポケットからサッと出せる程度の

小さな薄い本

 

さっきは

フランスの高校生用の

哲学のテスト用まとめ本を

ポケットに入れて出た

もっと正確に言えば

大学入学資格試験準備用の

小さな哲学教科書だ

 

買う必要のなかった本だが

なにかの気まぐれから

いつか買っておいて

読まずにいた

 

いろいろと項目が並ぶが

「他者」というところを

エレベーターの中で読んだ

 

他者は、私と異なっているかぎりにおいて、私に謎を提示する。

私は彼の行動を見、彼が話す言葉を聞くのだが、

彼の意識や内面性や意志は、

私にとって完全に把握不可能なものであり続ける。

はたして、私は、彼をほんとうに知ることができるのだろうか? 

彼のことを考えるのに、私は私をベースにしたり、

人間一般の抽象的な観念にもとづいて考えるべきなのだろうか? 

そして、彼があまりに私と異なっているのだとすれば、

私は彼を潜在的な敵と見なすべきなのだろうか?

 

これが

高校生向きに書かれた

「他者」の項目の

最初の問題提起文である

 

まあ

めんどうくさく

がたがたと

道学先生じみたことは言うまい

だが

日本以外の国々では

高校までで

ちゃんと

こうした哲学講義がある

内面的な諸問題や

政治思想や

世界情勢にまつわる諸問題や

科学的思考で道具となる

もろもろの基礎的な概念などについて

とりあえず

主要なものには

触れてさせておこう

という時間が

設けられている

 

私は彼を潜在的な敵と見なすべきなのだろうか?

 

参ったね

ごまかさずに

「敵」という言葉を

ちゃんと

出している

 

大学入学資格試験準備用の

この小さな哲学教科書からさえ

ナチス政治学のイデオローグ

カール・シュミットにも

もっと大物の

源流の源流のホッブスにも

サッと飛べるわけだ

 

戦略学の古典

バジル・H.リーデンハートにも

もちろん

辛口の思考のまま

飛び移っていけるわけだ





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