無用の事を為さずんば
何をもって有限の生を尽くさん
吉川幸次郎
毎夏
フランスの
ロワール河やトゥールに近い
ソリニィ(Sorigny)で
ヴァカンスを過ごしていた頃があった
フランスのヴァカンスは
基本的に
なにもしない
本を読んだり
野原や林へ
時には森や山へ
ハイキングに出たり
出なかったりする
昼食が終わると
庭の木の下で
夕暮れまで昼寝をしたり
日が暮れると
暗くならないうちに
菜園で野菜をもぎったりして
夕食の準備をする
暇な日中には
別荘の持ち主のピエールと
納屋に入って
むかしの遺物を物色したりする
ぼくには骨董趣味はないので
貰っていこうと思ったりはしないが
時代物のあれこれを
手にして重さを感じてみたりすると
フランス近代史のなかの
いろいろなものがじかにわかって
おもしろくはあった
第一次大戦で使われた銃が
持ってみるととても重いのがわかったり
第二次大戦のさなか
ナチスドイツの軍機が落していって
ぎりぎりでピエールに当たらないで済んだ
爆弾の破片もけっこう重かったが
どうやらこれが
彼の自慢の宝物らしかった
シャンソンの古いレコードも
あれこれ掛けて聞かせてくれた
女たちがいないところでの
男どうしでひそかに聞けるような
ちょっとエロで下品なシャンソンが
ピエールのお気に入りで
居間にいる彼の妻には言うな
と言われて聞かされた
ちょっとエロで下品とはいえ
現代の基準から言えばなんでもないのだが
1930年代生まれの彼にとっては
けっこうギリギリのものだったらしい
年長の男のそんなところを見るのも
楽しかったしかわいらしかったし
ちょっと哀れでもあった
エロや下品の程度も時代ととも上がったのに
家庭の主人となって娘もいる彼は
せいぜい1960年代のエロ&下品で
じぶんのウィタ・セクスアリス(vita sexualis)を
停止しないといけなかったのだ
品行方正っぽく聞ける
ちゃんとしたレコードもあって
シャルル・トレネ(Charles Trenet)のいろいろな曲は
あの名調子のJe chante(「ぼくは歌う」)*をはじめ
ピエールのこの別荘ではじめて聞いた
シャンソンといえば
日本ではなぜだか悲恋ものや
もの哀しいものばかり流行る傾向があるが
シャルル・トレネの歌は元気で陽気で
内容的には哀しさを歌うものもあるのに
曲調は明るく軽快なものが多い
フランスのど田舎でトレネを聞き返すたびに
これこそふつうのフランス人の曲だな
とシャルル・トレネを発見していった
「歌う狂人」とか「歌うバカ」と呼ばれ
途中で休止期間などもあったが
17才頃から85才まで歌い続けた
生涯シンガーソングライターのトレネは
1975年に一時的に引退した時に
こんな理由を言っていた
40年間、シャンソンにすべてを捧げてきたが、
ほかにしたいことが山ほどある。
例えば旅行とか、
読書とかね。
それに、…そうだ。
なんにもしないことなんかも
してみたいもんだよ」
若い時からなにかの道を一途に進むと
世間では敬われたりするものだが
まさにそういう人生を送ってきたトレネの
この言葉には真実がよく出ている
山のようにあるたくさんのしたいことを
とりとめなくあれやこれとやってみたり
たいした目的もなしに旅行したり
どうでもいいようでも気になった本を
あれこれ手にとって読みふけったり
いいかげんにぼんやりと拾い読みしたり
ちょうどぼくがソリニィで毎夏していたように
なにをするでもない夏のヴァカンスに
ひたすら時間を浪費し続けたり
そんなことのない人生というのは
はたして人生と呼びうるものなのか
……呼べないだろうな、ぼくの場合は
ということで
そこから来る覚悟をして
ぼくはなにもしない生を送ってきたものだが
だんだんと年齢を重ねてくると
ぼくのような生き方をせずに
ひとつのことに打ち込んで刻苦勉励してきた人たちが
まわりでばたばたと死んでいくのを見るし
さらには
彼らの業績のようなものが
けっこう十年や二十年程度の賞味期限の
はかないものだったのが歴然と見えてきて
いまでははやくも誰も覚えていなかったりする
彼らは知らなかったのだ
すべてはあまりにはやく廃れて忘却されるものであり
彼らが打ち込んだ仕事などは
なかったらなかったで他の人が替わりのものを
けっこうすぐに準備できるものだったのだ
ということで
旅行とか読書とか
なんにもしないことをしてきた
ぼくのほうが
けっこう得をしちゃったかな?
といまでは思ったりする
それに
こういうことも思う
たいしたことを
なんにもしていないようで
旅行や気まぐれな読書なんかしか
していないような人たちも
ひょっとしたら
他の人生で
刻苦勉励の一筋の仕事に
打ち込んだ人たちかもしれない
この次はちょっとボーッとしたいな
ボーッとしながら
視野を広げたいものだな
そう思って
なんにもしないことをすることに
あえて集中したりしているのかもしれない
*Charles Trenet “Je chante”
0 件のコメント:
コメントを投稿