2024年10月13日日曜日

開放し切ってしまうのでもなく閉鎖し過ぎてしまうのでもない

 

 

 

ああ、ポツマス、ポツマス、歳月の過ぎゆくことのいかに早き

ホラティウス

 

Eheu fugaces, Postume, Postume, labuntur anni.

Quintus Horatius Flaccus

 

 

 

 

小津安二郎の『東京物語』には

尾道の老母の危篤を告げる電報が

東京の堀切あたりの長男の医院に配達されるシーンがあるが

白シャツの郵便配達人は

まず家の玄関の戸を勝手に開けてから

「電報です」と告げる

 

昭和では

この映画が公開された1953年頃より後でも

こんな感じで

用事のある人は勝手に戸を開けてきたし

それができるように鍵を開けておくのもふつうだった

 

プライベートとやらを守るため

なにもかもが閉鎖主義となった現代から見れば

信じられないような習慣だが

逆に考えれば

こういう時代のやり方に慣れて育ってきた世代の人たちには

戸締まりをきっちりするような暮し方のほうが

非常に息苦しいものに思え

寂しいものにも見えたはずだった

 

幼かった頃のわたし自身も

『東京物語』よりもはるかに後の時代の幼少期を送ったのに

昭和の時期には

多くの家で戸締まりをあまりしなかった

という記憶がある

 

若い夫婦と子どもだけから成る核家族のわたし自身の家では

今と同じように玄関には鍵をかけていたが

首都圏での話だというのに

家族の多い祖父母の家に行くと

朝から夜まで庭の門の鍵もかけないし

玄関の鍵もかけなかった

夜に鍵をかけるのは

家族全員が帰宅してからで

最後に帰ってきた人が戸締まりをしたものだった

確認のために

まだ若かった叔父が

もう一度玄関の鍵閉めを見直していた

 

日中は

酒屋さんやお米屋さんの御用聞きや

洗濯屋さんの御用聞きなどが

毎日平気で庭先まで入ってきて挨拶して

「今日は必要なものはありませんか?」と訊ねたりする

 

酒屋さんなどは午前中に注文を取ってまわって

午後から夕方までに配達をしてくれる

当時はビールなどはすべて瓶ビールだったし

お酒も小さな壜などなく一升瓶で

醤油も大きな壜しかないから

酒屋さんが運んできてくれないと

主婦ではなかなかそういう壜ものは家には運んで来れない

飲み終わったビール瓶の回収なども

当然酒屋さんの仕事だった

ビール壜は各家をまわってケースごとに運んできたり

回収していったりなので

酒屋さんは朝から晩まで休みなしの仕事だった

今のAmazonがやっているような配送の仕事を

日常品の部分では

地元の小売店がそれぞれ行っていた感じだった

 

牛乳屋さんや新聞屋さんも

毎朝配達にまわってきて

これは外に備え付けた牛乳箱や郵便箱に入れていくわけだが

集金や他の用事でよく庭先に来たりもした

これらの業種については

現代でも昔のまま継続されているところがある

 

近所の人も

回覧板を持ってくるとか

ゴミ当番の相談とか世間話とかで

あれこれ用事があると

縁側まで入ってきて

そこで立ち話したり

ちょっと話が長くなる時は

縁側に座ってお茶を飲みながら話したりした

家猫も野良猫も当たり前にそこらにいて

縁側で人が話していたりすると

脇に来て寝ていたりする

 

昭和の50年代から80年代ぐらいまでは

こんなふうだった

もちろん

その頃も泥棒はいたし

押し売りといって

玄関先や縁側で荷物を広げて

ゴム紐などの小物を買ってくれと頼む人たちもいたりして

家に入ってくる人には怪しい人もいたわけだが

だからといって門や玄関の鍵を閉めてしまうわけではない

というところがあった

家族と世間の間に

開放し切ってしまうのでもなく

閉鎖し過ぎてしまうのでもない

微妙なバランスが保たれていた気がする

 

現在の日本の都市部の

極端な閉鎖型社会になっていくのは

80年代のバブル期の前後の変貌の影響が大きかったように

個人的な生活感覚としては感じてきている

 




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