詩というものを書こうと思った時期もあったし
たくさんの人に見せ続けようとして書いた時期も長かったが
そんな思いをすっかり捨てることができてからのほうが
詩のかたちはことばの器として使いやすくなったし
この器でなければ記せないこともあるのがわかってきた
いまではだれにも読まれていないし
思いうかぶ誰かにむけて書くこともなくなった
あの人にどう読まれるかな?などと気遣いながら
ことばを選んだり内容を抑制したりすることがなくなって
じつは書き始める瞬間までなにも思いつかないまゝ
メモさえ取らず辞書もほとんど開かずに
一気呵成に思いつくままに書き上げてしまうのだけれど
これをさんざんくり返してきている結果として
シュールレアリズムの自動書記に近い行為になっている
じぶんのなかというより思念のなかには借り物の
さまざまな概念や論理パターンが未整理に絡まり合っていて
自動書記行為をすることでそれが外に露呈してくる
じぶんがどれほどじぶんでなどないのかが露わになる
じぶんという幻影に騙され続けてきたじぶんを
浮き彫りにしつゝさらに壊しつゝ溶かしつゝ
無さ…とでもいうべきものに向かって進み続けていく
無さの深みに潜入していってようやく感じられる
在りぐあい…とでもいうものでも掴み取りたいのか
しかし今行ったばかりのこんな記述のなかでさえも
「向って」「進み続けていく」「深み」などと
感傷的な浅薄な言辞を使ってしまっている
そんな言辞で済ましておけばよい場合もあるとはいえ
こういう安手の借り物概念やイメージで満足して
いまだに安穏としているじぶんのどうしようもない
うすら寒さに凍え続けていく
詩を書くかどうかはどうでもよいものの
詩のかたちでものを書き続けず
じぶん壊しを続けていかない「じぶん」さんたちは
寒い
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