2018年8月1日水曜日

そんな小さなことのために



人皆知有用之用而莫知無用之用也 荘子
  (人は皆有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり)



なにごとにもこだわりなどない
まったくない
と見せるのこそ
つねに控えめであるべき
ダンディズムだと思っているので

いいよ
なんでもいいよ
あれでもかまわないよ
それでもかまわないよ

なにかというと
人にはそう言って済ますことばかりだけれど
近くにいる時の妻など
じつはこだわりだらけのぼくのまわりでは
いつも
空気がビリビリとなって
痛いほどだ
ヒヤヒヤだと
さすがに
よく見抜いている

老いたウィリアム・バロウズⅡ世[i]
たしか紅茶は
フォトナム&メイスン[ii]しか買わなかったはずだし
ぼくが何度か会った頃の
マンディアルグ[iii]さんは
鉄製の堅牢なベッドでしか寝なかった

そろそろ
ぼくもそんなこだわりを
隠さないようにしてもいい頃あいか
と思わないでも
ない

とはいえ
ぼくほどの紅茶好きであっても
まだ
銘柄を限定するほどに
しぼり切れてはいないし
いくらマリアージュ・フレール[iv]
アールグレイ・インペリアル[v]が旨いといっても
淹れぐあいによっては
どうかな…
と首をひねる時も少なくない
1789年にロンドンで創業したバックス&ストラウス[vi]
ロイヤル・ダイアモンド・ブレンド[vii]もよかったが
他のものを飲むのを控えてまでして
ぜひ次にもすぐにほしい
とまでは思わないで
もう数か月が経ってしまっている
1789年といえばフランス革命勃発の年だが
ロンドンに亡命したフランス貴族たちは
バックス&ストラウスの紅茶に
しばしの憩いを見出したものだろうか
ロンドンで極貧に陥っていた頃のシャトーブリアン[viii]口には
むろんこの店の紅茶の味が触れることなど
なかったにちがいないが

この七月にオテル・リッツ[ix]で貰った
リッツィ・アールグレイ[x]
まだ飲んでいないが
茶葉にはシャルトルブルー[xi]のように鮮やかな
矢車草の乾燥花が入っていて
見ているだけでも幸福な気持ちになる
ベルガモットはもちろんだが
希少な白茶インゼンもブレンドされているそうで
これは晩夏の愉しみとなりそう

紅茶といえば
昨年リニューアルオープンして
今年はもう世界中のホテルの中でも
十指に入るようになったという
オテル・ド・クリヨン[xii]の中庭カフェで
青い眼のミシェル・モルガン[xiii]のような美女が
運んできてくれた紅茶が
もちろん
悪くはなかったが
驚かされるほど旨いわけでもなかったのが
ちょっと思い出されてしまう

それと比べてみると
大統領のいるエリゼ宮[xiv]のすぐ近くの
オテル・スプランディド・ロワイヤル[xv]の朝の紅茶や
オテル・リュテシア[xvi]の朝の紅茶のほうが
じつはなにごとにもうるさ過ぎるぼくをも
素直に喜ばせてくれるような味だったのが
これは
旅のちょっとした思い出として
心の舌の味蕾にたゆたい続けている

オテル・スプランディド・ロワイヤルの
イタリアレストラン《トスカ》[xvii]
パリではめずらしく
本当に旨いスパゲティを出す名店だという話で
妻はそれを食べて賛嘆していたけれど
ぼくはとうとう食べる時間がとれず仕舞いだった
この次にはぜひ食べたいものだ
そんな小さなことのために
たまに
あるいは頻繁に
訪れるためだけに
パリのような街というものはある
ごたいそうでたいていはインチキな
文化だの
美だのという目くらましのためでなど
なしに



[i] William Seward Burroughs II
[ii] FortnumMason
[iii] André Paul Édouard Pieyre de Mandiargues
[iv] MARIAGES FRÈRES
[v] Earl Grey Impérial, MARIAGES FRÈRES
[vi] Backes&Strauss
[vii] Royal Diamond Blend, Backes&Strauss
[viii] François-René de Chateaubriand
[ix] Hôtel Ritz
[x] Ritzy Earl Grey
[xi] le bleu de Chartres
[xii] Hôtel de Crillon
[xiii] Michèle Morgan
[xiv] Palais de l'Élysée
[xv] Splendide Royal Paris
[xvi] Hotel Lutetia
[xvii] Tosca


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