2018年8月10日金曜日

その地点



1945年7月
かなりの高確率で
最初の原爆投下地点となるはずだった
京都のある場所
そこを
現在の「でっか字・京都・詳細便利地図」(昭文社)で
矯めつ
眇めつ
見続けている
(タメツスガメツ…、微妙に、ふさわしく、ナイ、かな?
(この慣用句、この場合には…

京都駅の西
今でいえば梅小路公園から京都鉄道博物館の間あたり
山陰本線の曲がる上空あたりか

昔の地図で考えれば
朱雀大路と梅小路が
あるいは
八条坊門小路が交差するあたり
平家一門の邸宅群があった
有名な西八条第の
やや西のあたり

大統領直下の
アメリカの原爆計画責任者
レスリー・グローブスは
そこを
最初の原爆投下地にすることに固執していた

1944年12月30日に詳細な計画が作られていて
グローブスが保管していた京都の地図には
その地点から半径5kmの円が描かれている
そこに落とされれば
円の内部は完全な焦土と化すはずだった
東西で見ると鴨川から桂川に到る範囲は全滅
南北で見ると丸太町通から上鳥羽あたりまでは全滅

…タメツスガメツ
見続けていると
気づく

鴨川と桂川の間の地域を狙っている、ナ…

ヒロシマで
太田川の分岐地点あたりに投下したように
本川と元安川の間に投下したように
中島地区に投下したように

ナガサキで
浦上川と下の川のあいだに投下したように
(大きく、下の川寄り、であったとはいえ…

そう思って
見直すと
京都も
大きな中州に
中島に
見えてくる
中島地形にこだわる原爆投下、ナノカ……

原爆投下に適した都市の条件は
人口が集中し直径が5km以上の都市
空襲を受けておらず破壊されていない都市
最大の破壊効果の得られる都市
などだったという
そうなると
京都と広島がいちばんの候補に上がってくるが
京都は住民の知的レベルが高いので
他の都市に落とす場合よりも
新兵器の意義が正しく認識されるだろうとのことから
グローブスは京都を推し続ける
歴史に残る
誇るべき最初の原爆は
破壊効果が隅々にまで行き渡る都市に落としたい
そういうことだったらしい
破壊効果が
地理的物質的なばかりでなく
時間的未来の隅々にまでも
精神の隅々にまでも
たましいの隅々にまでも
行き渡るような
そんな都市に

しかし
大統領とグローブスの間に位置する文民の陸軍長官
ヘンリー・スティムソンが反対し
京都を外すように言う
ヒトラー以上の残虐行為を行った汚名をアメリカは負うのではないか
京都を二度訪れたことのある彼は
これを危惧した
すでに行われ続けている日本の都市への空襲も
無差別殺戮というべき段階に入っているのではないか
そう危惧していた

グロ-ブスの固執通りに
計画通りに
進んでいれば
京都には7月に投下されて
京都はキョウトとなり
次には
広島に8月1日頃
その後は1945年暮れまでに
さらに17発の大量投下が計画されていたから
順番はわからないものの
川埼
東京湾
横浜
名古屋
大阪
神戸
広島
山口
下関
小倉
八幡
福岡
佐世保
熊本
長崎
…は次々と消えていったはずだっただろう
計画と遂行の神々が
もし
和を以て尊しとなすような見事な連携を保っていたならば

1945年8月9日に
小倉に原子爆弾ファットマンを投下しに行ったB29ボックスカー機が
天候悪化のために小倉を離れ
第二目標の長崎へと向かったような目標変更に
たびたび見舞われ
臨機応変さがいつも求められることにはなったであろうが

つらつら
思い続けながら
矯めつ
眇めつ
タメツスガメツ
(…やっぱり、微妙に、ふさわしく、ナイ、かな?
(この慣用句、この場合には…
地図上に
見続けている
京都駅の西
今でいえば梅小路公園から京都鉄道博物館の間あたり
山陰本線の曲がる上空あたり

昔の地図で考えれば
朱雀大路と梅小路が
あるいは
八条坊門小路が交差するあたり
平家一門の邸宅群があった
有名な西八条第の
やや西のあたり

なにが
このあたりにはあったのか
と思いながら
仁科芳雄博士肝いりの
秘密の原爆開発実験施設や工場でも
じつは
地下にあったのではないか
と思いながら

あるいは
長い長い時間を超えて
なおも
平家討伐こそが
問題の核心でありでもしたのか

アメリカは
じつは源氏で
…そうか!
海を渡った義経が
はるばると
長い時と場所の遠さを乗り越えて
念には念を入れての
西八条第攻めを仕掛けてきたものか



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