ドイツでの食べ物といえばジャガイモが浮かぶが
ヨーロッパの農業発展の本を読んでいたら
ジャガイモ栽培が本格的に始められたのは
17世紀のアイルランドでのことだし
それがヨーロッパにだんだんと定着していくのも
18世紀に入ってのことにすぎない
ジャガイモは加熱してもビタミンCが壊れず
寒冷地でも栽培可能だったことから
ヨーロッパはいきなり栄養面で好転していくのだが
ラテンアメリカからこれが移入されなければ
ヨーロッパは世界に覇権をひろげるどころではなかったし
そもそもこれらを移入するきっかけとなった
人間悪の百貨店のあの残虐な大航海時代がなければ
食事情の面から言っても全く違った展開になっていただろう
歴史学ではポテト革命とも呼ぶそうだが
トマトやトウモロコシも同じように
ラテンアメリカから導入されてきたわけで
現在の各国のちょっとB級な料理のほとんどが
南米由来の梅毒などの性病と同じように
大航海時代そのものが生みの親ということになる
ヨーロッパといえばパンや小麦だけれども
これだって西アジアから流れてきたものに過ぎず
冷涼な高緯度地域ではさほどの収穫高は見込めなかった
中世では一粒蒔いて六粒か七粒に増えるかどうかという程度で
これでは主食にするといってもまことに心もとない
それが十八世紀に十倍の収穫高になっていくことで
どうにかこうにかの安定供給が始まっていく
人口の増加もふり返ると不思議なことだらけで
17世紀頃までは新生児は一歳までに1/4が死に
成人するまでにさらに一人は確実に死ぬので
二人に一人しか生き延びていかないものだったし
戦争や疫病や飢餓が人口抑制の三大要素であり続けていた
疫病の中でもペストは絶大な人口抑制効果を誇っていたが
これが17世紀末には急に姿を消していくことになる
まだ治療方法もなく予防手段もなかった頃なので
ペストのこの不意の消滅は歴史上の謎とされているらしい
こういう謎を人類総体の運命論に結びつけたり
占星術的な壮大な宇宙論的からくりを推測しようとするのも
ちょっとは面白いに違いないだろうけれども
ラテンアメリカの現地人たちを大量に虐殺するかたわらで
ヨーロッパに持ち込んだジャガイモやトマトやコーンや
それに徐々に生産高が上がって来ていた小麦のおかげで
民衆の体力や免疫力の底上げが自然になされたと見るのが
まあ穏当な推測ということになろうかと思う
あたり前に目の前にある食物にさえ数えきれない“他人”たちの
不幸とと阿鼻叫喚と悲惨と絶望と絶滅がぴったりと張り付いている
いつまでも
いつまでも
いつまでも
いつまでも
いつまでも
今日は
そんな地球上からの短い報告でした。
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