ひさしぶりに
ナーガールジュナの『中論』を見ていると
やっぱりおもしろくて
急ぎの用事さえ放り出して
読んでいってしまう
これは
仏教学界では
詩
と呼ばれているし
詩
と見られているし
これこそが
詩
だと見られている
近代社会のなかでの個の
喜怒哀楽や
なんやかやについての
はかない考えなどの言語表白を
詩
だなんて言い張るやからとは
すんげえ違いで
脳天にキューッと穴が開いて
天空のエネルギーとツーカーになる感じが
ああ
きもちいい!
である
ちなみに
チベット密教のほうでは
脳天に穴を開けるのを
ポワ
と呼ぶ
アサハラさんが
べつの意味に使っていた
あれ
ね
「結果は
縁が変化して成立したものではない
縁でないものが変化して現われ出たものでもない
結果がないのだから
どうして縁と縁でないものとが
ありえようか」
どうだ!
ナーガールジュナ見参!
である
もう
円月殺法
なん
である
10年間
トランクルームの奥に
サンスクリットからの仏訳の『中論』を
ほっぽり出してあった
もう要らないかな
と思っていて
古本屋に売っちゃおうと
考えを傾け出していたんだけど
ナーガルジュナ研究の文献案内に目を通していたら
チャンドラキールティーの注釈
「プラサンナパター」つきの『中論』を
ルイ・ド・ラ・ヴァレ・プッサンが訳した
歴史的な超有名なフランス語訳だとわかって
やっぱ
持っていようと
思い直した
ナーガルジュナは
漢訳仏典では
龍樹とも呼ばれる
ナーガは龍だが
樹のほうは
アルジュナを音写したもので
けっこう
いい加減
いい加減
と
いえば
ぼくにはピッタリ来るので
そろそろ
龍樹
と
名乗ることにしようかな
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