ざっと見たところ
世界はいよいよフーコー的世界に進んでいる
生政治学(bio-politique)の世界で
身体の規律=訓育(discipline)と
人口の調整管理(régulation)を主軸とするあれで
ここで特徴となるのは
権力が可視的なものから不可視のものになり
権力的中心は不在となり
非人称の監視システムが張り巡らされるところだが
これがさらにブラッシュアップされ
微細な洗練された段階に達してきている
だれがどこでどのように監視しているか
まったく突き止められなくなり
他方で監視されている者は
身体的な外見から生活のあり方や計画やプログラムや
感情や考え方や意見などまですべて監視され
さらには身体内部の状態やDNAまで読み取られている
PCR検査は個人了解をえないでなされる遺伝子検査だったが
生政治学がかなり乱暴にはっきりと一歩踏み込んだ
世界的な事件であったのは2020年はじめから歴然としていた
フーコーの考察から
特に管理=コントロール社会の視点を取り出して
さらなる現状分析とそれへの対処法を打ち出した
ドゥルーズ+ガタリのいっそうの再読が必要になった現代だが
それにくわえて
主権国家や国境の希薄化と
情報+経済交通により「国家」
アントニオ・ネグリとマイケル・ハートもさらに再考対象となり
そういう状況下で不正選挙という古い汚辱の手法で
大がかりな権力簒奪を行なったアメリカ民主党と
その背後に隠れた国際的共産主義者群の行動を見極めないといけな
もちろんジョルジオ・アガンベンのように
古代ギリシア以来の思考の系譜がアウシュビッツと全体主義に
直結していく他ない病んだ思考系譜であることも
加味して考察していかないといけない
さあ、ワトソン君
こんな危急の時に
のんびりなどしていて
なにしてるのかね、きみは?
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