学生のころ
六月はきらいだったが
梅雨の時期で
めんどうだからだろうかと
いまでも
思うことがある
けれども
そんな六月ぎらいがどこから来たのか
と思い直すと
子どものころからではなかったと
気づく
子どものころ
雨はめんどうでも
傘を持ってふざけるのはおもしろかったし
水たまりで遊ぶのはおもしろかったし
水のたまった田んぼでは
雨などおかまいなしに
カエルを追ったり
水面を泳ぐ蛇を眺めたり
泥んこには友だちと入り込んでいったり
けっこうおもしろくて
男の子にとって
六月はいやな月ではなかった
中学校に入ると
そんな雨あそびもできなくなるし
傘をさしながらも
雨に濡らさないように
単語帳を見ながら歩いたりしたので
そのころから
やっぱり
六月ぎらいは始まったものか
と思う
しかし
いちばんの理由は
梅雨をきらう母のくりごとを
毎日聞かされ続けたためだろう
雨はいやだ
梅雨はいやだ
洗濯物は乾かない
食べ物にはカビがわく
雨具のことを考えるのはめんどうだ
たしかに
それらはめんどうだが
いやだいやだいやだいやだと
朝から晩まで言われ続けていると
子どもの心は
すっかり汚染されてしまう
家出してから
いっしょに暮しはじめたエレーヌは
まったく違った
乾燥したフランスと違い
日本の梅雨はうるおいそのもので
肌に気持ちよく
アジサイはきれいで
カタツムリもかわいい
カエルも出てきて
目を楽しませてくれる
庭にも小径にも家のなかにも
しめった蔭ができ
それらがひかえめに美しく
得がたい味わいとなって
毎日がおとぎ話の世界のようだと
いつもうれしそうに話していた
生まれ育った
じぶんの本性と相容れない家で
押しつけられ続けてきた
季節への嫌悪を
すっかり反転させるこんな出会いによって
わたしは青年時代までのじぶんを捨て
おろかな親たちの価値観を捨て
感受性をもゼロから作り直す旅に
出ることになった
2010年に逝ったエレーヌ
あなたがあんなに愛した
美しい日本の梅雨の六月が
今年も来ています
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