2022年7月28日木曜日

イリユージョンペリユデイ

  

  

永井荷風は

フランス語はよくできたはずで

『珊瑚集』は名訳だと言われているし

だいたい

森鴎外と上田敏に推薦されて主任教授となった

慶応大学文学部では

フランス文学とフランス語を講じたのだから

できないはずがない

 

ところが

彼のものをあちこち見ていると

本当にフランス語が正確にわかっていたのか

ちょっと首を捻ってしまう時もある

 

『断腸亭日乗』の大正六年十二月十七日の記述には

こんなことが書かれている

 

十二月十七日。午後九段を歩む。市ヶ谷見附の彼方に富嶽を望む。病来散策する事稀なれば偶然晩晴の富士を望み得て覚えず杖を停む。燈下バルザツクのイリユージョンペリユデイを繙読す。就床前半時間ばかり習字をなす。

 

おいおい

イリユージョンペリユデイ

ないだろ

 

フランス語とフランス文学の先生が

それは

ないだろ

 

これはバルザックのIllusions perduesのことで

日本語では『幻滅』と訳されている長編小説だが

音に近づけて表記しようとすれば

イリュズィヨンかイリュズィオンとしたほうがいいところを

あえて

イリユージョンと書いているのは

これはまだ

便宜的

と見てもいいけれども

ペリユデイ

そうとう

まずい

ペルデュ

でしか

あり得ない

 

ひょっとして

フランス語で読んでいるのでなく

だれかが訳した翻訳物を読んでいて

そのだれかさんが

間違って

イリユージョンペリユデイ

などと

題名に書いていたものだろうか

 

しかし

荷風ほどフランス語のわかる人なら

ペリユデイでは

だめだろ

すぐに気づくはずである

 

どうしちゃったんだろ?

と思わされる

わけ

 

ところで

同じ年の十月二十七日には

夜中に

クチナシの実を煮たりしている

 

夜梔子の実を煮、その汁にて原稿用罫紙十帖ほど摺る。梔子の実は去冬後園に出でて採取し影干になしたるもの。

 

荷風は自分で原稿用紙の罫線の印刷もしていたのか

ちょっと驚かされる

当時の物書きは

そんなものだったのだろうか?






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