スズちゃん
と
いうのは
ぼくのうちでは集合名詞で
スズムシのことを
まとめて
指し示すときなんかに
使う
「スズちゃんの餌を替えなきゃ」
とか
「スズちゃんに霧吹きしなきゃ」
とか
ちょっと
旅行に出るときなんかは
「スズちゃんの餌保つかなあ?」
とか
そんなふうに使う
なんせ
去年もらって育てて
晩秋
死に絶えるまえに
産み落とされていった卵が
ぜんぶではないまでも
そこそこの数
みごとに孵化して
夏のさかりに入ったこの時期
飼育ケースのなかに
スズちゃんは
うじゃうじゃしている
多すぎるとまではいかないが
スズ密度は
ずいぶん高くなっている
こうなると
餌を替えるのは日課になるので
なにかといえば
考えることは「スズちゃん」となる
餌のことを考える
というのは
どういうことかというと
毎日取り替えなくってもいいかな?
とか
かといって二日にいっぺん
と決めてしまっていいいわけでも
ないんだな
とか
餌の状態を見ながらけっこう悩んだりする
ということなのだ
おもにキュウリだのナスだのを輪切りにして
いくつも楊枝に刺して入れてあるが
これらがやけに干からびる日もあれば
すぐにカビが生えてくる日もある
ナスなんか腐って崩れ落ちてしまう日もある
餌のそうした状態を
六時間とか八時間とかすると見直して
ナスは替えようかな?
キュウリのほうはまだいいかな?
などと
けっこう細かく考えるのだ
煮干しも数本楊枝に刺して入れてあって
こっちのほうはけっこう保つが
それでも急にカビに覆われているときもある
ひょっとしてスズちゃんは
カビなんかも食べちゃうのかもしれないが
見栄えがよくないし
もしカビが苦手で大量死されたら困るから
保ちのいい煮干しだって
いい加減なところで替えないといけない
そんなこんなで
7月からは大いそがしとなって
まだ羽根も生え揃わないから
鳴いてもくれないのだが
世話だけは大変な夏の日々となっている
しかし
卵から孵してみたのははじめてで
スズムシというのが
小さいうちから
こんなに機敏に跳ねまわるものとは
知らなかった
羽根がちゃんと生えて
おもむろに鳴き始めたりするさまは
昔からときどき見てきたが
それ以前の幼少年時代に
まるで猫の子みたいに
わんぱくに歩きまわったり
跳ねまわったりするとは知らなかった
スズムシというのは
ひょっとしたら
鳴くための羽根が生え揃う前が
いちばん生き生き
ちょこまか
しているかもしれない
こうして
とにもかくにも
特定の虫を贔屓して世話してみると
おもしろいもので
虫というもの全般に親しみが湧いてくる
ゴキブリの顔だって
スズムシの顔とたいして変わらないし
蚊だって似たようなもので
これまで人間界の習慣に盲目的に従ってしまって
ひどい殺生を平気でしてきてしまったと思う
そう思うように自然になってくる
そうしてLGBTIなんて思うようになって
INSECTの権利を守らねばならない!
ぐらいのこともたびたびアタマをよぎるようになってくる
まったくもって
スズちゃん様々なんである
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