草の上に開いてある書物に、雲の翳がゆっくりと過ぎていく。
寺山修司
長かったようでも
そう長くもなかったようでもあるような
そんな人生の
整理をしようとして
うっかり崩してしまった山積みの本のむこうには
若い頃のメモ書きノートが数冊
「私は、自分の人生に言文一致を求めて、 書物のなかの幸福に充足することを戒めようと思った。
土曜日の午後の読書会の憂鬱。高い精神という名の退屈と、 ヒューマニズムという名の無関心、そして書き言葉による『救済』 のそらぞらしさと、その呪術的効果に酔いしれるスノビズム( 俗物根性)。 いつのまにか学校教育を受けた期間の長短によって生み出してゆく 差別と疎外――そして、一片の青空の真実にも及ばない数千行の『 幸福論』・・・・・・」
本当にそうだ
と
今さらながらに痛切に共感し
誰からの引用メモだろうと見ると
寺山修司
「文学を政治に利用するのはおろかだが、文学を勉強し、 研究するのはもっと無駄な、書物上部構造論であるということが、 わかっているのだろうか、どうだろうか」
「入学してみたら、大学とは『他人の話を聞く』 ところにすぎなかった」
今さらながらに痛切に共感し
こんな言葉にたくさん触れたくて
そうだ
詩歌をぼくは読みはじめたのだった
と思い出す
今さらながらに
今さらながらに
太陽がぎらぎらしていて
冬はやけに寒くって
降る時は
東京でもドカッと雪が降るのが当たり前の頃だった
あゝ、生きていた頃だ
生きていた
生きていた
「草の上に開いてある書物に、雲の翳がゆっくりと過ぎていく」
そんなことを
本当に
あちこちでやってみていた頃だ
夏の海岸で
日がな一日
冬の
ちょっと日差しの暖かい午後
あの人や
この人を伴って
ちょっと香りのよい煙草なんか燻らしながら
すこしかっこ付け気味の
難しい大判の本をベンチに開いたりして
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