もの思ふ人の魂はげにあくがるるものになむありける
紫式部『源氏物語』・葵の巻
ソレルスが
ひさしぶりにツイートをしている
内容はないが
宣伝のツイート
もう80を超えているんだっけ?
まだだっけ?
たいしたものだ
それにしても
手元にベケットも置かず
クロード・シモンも開かず
批評の方法に悩んだ時にはやはりリシャールを覗いたり
あるいは
もちろんロラン・バルトを見直したり
しないで平気でいられるような人びとばかりの
時代や国って
ありうるなんて
思わなかったよねぇ
つい
十年ほど前までは
そんな連中が
いっぱし
文芸を語ったり書いたつもりになったり
ゲージュツとかなんとか
はては
アートとかなんとか
言っているんだよ
作品とか
詩とか
小説とか
そんな言葉が禁句のようになって
エクリチュールとしか
呼び名が許されなかった頃
ぼくらは
書くものの形式さえ
呼ばないことを
呼び得ないことを
学ばされたものだったが
いま住んでいるうちからは
そう遠くないところに
マロニエの街路も
プラタナスの街路もある
フランス語を学んでいた頃
長浜美影と連れだって歩いた街路も
遠くないところにある
バルバラを知って
ずいぶん陶然と聞き直した頃の
あの街路
あなた以上の日本の美女には
ついに
会わなかったかも
しれない
日曜日には
家で
いつも新聞のクロスワードパズルをやっていた
あなた
それを見ていた
いくつかの
日曜日
ソレルスが
ひさしぶりのツイート
ぼくは
むしろル・クレジオ好きで
あなたと会っていた頃は
フランス語の「愛する大地」を抱えていた
あの並木道を
レウルス先生と歩いた際
先生に本を見せると
Terra Amataというタイトルを見て
Terre Aimée!
と
先生はフランス語を言ってくれた
ラテン語のほうがかっこよかったかもしれないのに
その時は
フランス語のほうが
かっこよく感じたものだった
ソレルスは翻訳しか読んでいなかった
うちでサルトルの『嘔吐』を
ずいぶん必死に
原文で読み進めていたが
ブルトンの『ナジャ』なんかは
難しくて
なかなか進められなかった
ヴァレリーの『若きパルク』も
ランボーの全詩集も
買うには買っていたが
楽ではなかった
が
持っているだけで
こころは昂揚し続けだった
マラルメ学者の松室三郎先生と
いっしょに
あの寒々とした教室で読みまでは
マラルメさえ
フランス語原文では齧っていなかった
鈴木信太郎の翻訳は読んでいても
マラルメを翻訳で読んだってさ
マラルメをさ
と友人たちと自嘲していた
長浜美影
あなた以上の日本の美女には
ついに
会わなかったかも
しれない
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