「欅坂46」の『二人セゾン』
まわりの「大人」たちには
ひとりもこれに興味を示す人がいないし
彼らからの
肯定的な評価も
一度も
聴いたことがない
しかし
ただの高校生向きポップスと思っていたら
とんでもない高レベルまで
達してしまっていた
曲
ヴィデオも見事な出来で
すぐに過ぎ去っていってしまう人生の中の
若さの瞬間を
よく捉えた
カロッサならば
「美しき惑いの年」と
言うだろうか
ゲーテならば
「時間よ止まれ、おまえは美しい!」(『ファウスト』)と
言うだろうか
もちろん
ポップス商売のど真ん中で作られ
若者たちをノセてたぶらかし
関係者たちが稼ぐための曲のひとつなのだが
それでも
「欅坂46」は
ポップス内で社会批判を企てた
矛盾に満ちた奇跡的な試み
だった
「生きるとは変わること」
といった歌詞に
型にハマった生き方しかできなくなった「大人」から
まだ柔らかい若者たちへの
必死の呼びかけがあるように
聞こえてしまう
ドストエフスキーの『罪と罰』で
殺人を犯して人生が終わったかのようなラスコーリニコフに
検事のポルフィーリーが
「あなたには未来がある」
と言い
それに比べて
「私はもう終わりになった人間なんですよ」
と言うが
『二人セゾン』は
そんなポルフィーリーのような「大人」の側の立場から
「大人」ではない人たちに向けて
作られている
とはいえ
これから滅びに向かうばかりの
腐り切った日本に生まれあわせてしまった若者たちの
いわば特攻前や討ち死に前の心情を
ひととき
はかない華やぎも混ぜながら表現してみせた‥‥とも
やはり
評しておきたい
オタユキという人のカヴァーが
独自の見事なアレンジで
これがまた
すてき
流行の最前線で歌っていなくても
まさにプロの感性と技術
これだけの力量を持つ人たちが
たくさん世の中にいるということが
その社会の文化の
厚み
というもの
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