2024年4月2日火曜日

4月2日はエミール・ゾラの誕生日

  

 

42日は

作家エミール・ゾラの誕生日で

生年は1840年だった

 

ゾラ先生に

祈りを捧げておきたい

 

日本では

昭和の終わり頃から

現代に至るまで

ゾラの人気は

どんどん落ちる一方だったが

これは

いわゆる文学を鼻にかける青年たちが

社会なるものを正面から描こうとするタイプの文芸を

不必要に貶めた結果で

やれ実存主義だの

やれヌーヴォー・ロマンだの

やれソレルスだの

ル・クレジオだのと

出てくる新しいものにどんどん飛びついて

フランス文芸通ぶる競争に

落ち込んでいったためでもある

 

ぼくの学生時代は

ゾラなんぞもう古いと見られていたし

読んでみたところで

金のない層がブルジョワに負けていくだけの

陰々滅々物語につきあうだけ

と言われていたし

ついでと言ってはなんだが

子どもの頃に愛読した

ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』なんかも

プルーストがあんなのだめじゃん!と否定したために

教養主義者が書いた

ただの空疎な精神主義小説のように言われて

ロマン・ロランと言えばバカにする

というようなところがあった

さらについでを加えれば

日本では十分に受容されてすっかり消化され切った

モーパッサンなんかも

昭和の終わり頃にはバカにされていた

いまさらモーパッサンでもないだろう?

で済まされてしまうのだ

新しく生まれてきた世代は

ろくに読んでもいないというのに

 

文芸作品というのは

その時代の評論家や若いアカデミック連中が

なにを評価しなにを蔑もうとも

一作一作の価値は

読み手ひとりひとりによって異なるプリズム光なので

なにが古いとか

なにはとうに超えられたとか

そういう言辞自体に意味はない

なのにそういう言辞がまかり通ってしまうところに

文芸ジャーナリズムや

アカデミックジャーナリズムのどうしようもない浮薄さがある

ただの流行り廃りの知的な一種なのだが

その渦のなかにいると

そういうことがわからないのが

人類の悲しいところだ

 

ぼくも個人的には

ゾラはつまらないと判断する側にながいことあって

バルザックほど想像力的な上昇気流を創出していないし

日本の昭和で言えば山崎豊子や松本清張とかの路線だろう

などとまとめて片付けていたのだが

歳を重ねていくうちに山崎豊子や松本清張が面白くなっていくよう

ゾラというのもぐんぐんと面白く感じられてきた

 

なんといっても

ゾラはフランス語がすばらしいのだ

さすがにジャーナリストだった人だけあって

文学の専門家や哲学を趣味とするディレッタントでない相手に

ひねくれていない文章で的確にちゃんと伝わるような

文法的にも語法的にもしっかりしたわかりやすい文章で書いている

これはフランス語の基本を学んで

じぶんのフランス語のベースとなるような文体に

常時接し続けて学び続けたい学習者たちには

ほんとうにふさわしいすばらしいフランス語のひとつである

中級程度まで文法を学んだ人なら

ゾラのフランス語で文法的に難渋する箇所はほとんどない

それでいてフランス文学中の古典でもあるところに

ゾラの特別な位置づけというものがあり

なにかのおりにフランス語を書かないといけない時には

まずはゾラのように書けばいいという信頼感や安定感がある

 

モーパッサンにしても

「いまさらモーパッサンでもないだろう」どころではない

ごくふつうに楽しみで読む小説としても

モーパッサンはいまだに格別におもしろいし

彼の場合も読みやすく文法的に破綻のない文章で

フランス語作文の大いなる模範になってくれる

数年前のことだが偶然手に取った『ベラミ』の原書を読んでみて

あまりのおもしろさにほかの本が手に付かなくなってしまった

世間知らずの学生時代に翻訳でいそいで通読してピンと来なかった本だが

さすがに歳を重ねてから読んでみると

モーパッサンの人間を見る目の正確さと深さに驚かされた

と同時に彼のフランス語の的確さとエスプリに

観劇でみごとな舞台に出くわしたような感動を覚えた

 

フランス語を学んだ文学かぶれ青年たちは

なにかというとフローベールだバルザックだプルーストだと

フランス以外ではジョイスだフォークナーだボルヘスだ

ドストエフスキーだなどと錦の御紋をちらつかせるが

バルザックやプルーストのように書いたって人には伝わらないし

ジョイスやフォークナーのように書かれた手紙を受け取る側は

ただの不運に遭遇したというだけのことになるのだが

ゾラやモーパッサンのように書かれた手紙やメールなら

だれにとってもわかりやすい上に品格もある

まずはそこを模倣して書けるようになるところから

外国語作文とのつきあいは始めたらいいというものだろう






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