2024年4月29日月曜日

わたしはわたしに

 

 


没頭とは、頭脳が最大限に機能し、時間の観念がなくなり、

幸福感が浸透していく変性意識状態であると、

最新の調査が結論づけています。

調査はさらに、人はこの状態にあると、

努力を努力と感じない効率よい機能状態にあることを報告しています。

ある研究チームはこれを、「流れている状態」と呼んでます。

ダニエル・ゴールマン(ジャーナリスト・著述家)

 

 

 

 

テレビで

能の「忠度」をやっていたので

ものを食べながら

なんとなしに見ていたら

吸い込まれるように

見続けてしまった

 

能は

日本文学のそこまでの時代の

総決算でもあれば

華のような日本詩語の総覧でもあって

これあってこそ

その後の日本文学は

俳諧や戯作などのべつの展開を

豊かに花咲かせていくことができた

 

能は好きだが

実際に見に行くと

おもしろいのに

どうしても眠くなってしまう

あの声調やリズムが

たぶん

独特の電磁波を発生させるものと

思う

 

それに

今日日は

なんだかずいぶんと

チケット代が高い

 

どうせ眠ってしまうしなあ

と思うと

あの額を出すのは

もったいない気がしてしまう

 

もう二十年ほど前から

能はテキストを読むのこそ

いちばん楽しく

いちばん経済的で

いちばん楽だと

結論している

 

能の通ぶって偉がろうとかは

まったく

思っていないので

これで

かまわない

 

そのかわり

よさそうなテキストは

けっこうわがままに

買い集める

 

註が詳しくて

読みやすく

わかりやすい版がいいのだが

そういう本は分厚くて

重くて

嵩張るので

ちょっと出かける時に

ポケットに入れていくような時は

古い岩波文庫や

さらに古い有朋堂文庫などがいいが

これらには

註がまったくないので

逆にずいぶんと

読解に集中させられたりする

 

それにしても

能などは

二十一代集の読書のように

ブラックホールのような魅力があって

ほかの読書や

ものごとへの興味を消失させられてしまう

これらのみずうみの淵で

ある程度以上の深みに入り込めば

しばらくは

興味の核が水から上がって来れなくなる

謡曲に深入りすれば

現代語の読書にはまったく興味が失せ

二十一代集の淵から潜れば

現代語の詩歌や

外国語の詩歌などには

見向きする気がまったく失せてしまう

そんなふうにして

半年や八ヶ月ほどを

ほかの読書を一切せずに過ごした年月も

おそらく

十年ほどはあったのでは

ないか

 

あまりに集中しすぎて

まさに寝食を忘れるごとくに

それ以外のことを完全に忘れてしまうたちなので

逆に

集中ということを

必死にしないように努めてきた

激しい逆噴射の人生であった

 

いろいろなことをバランスよくこなして

誰よりも役人ふうに

常識人ふうに

生活も仕事も雑事も

すべて同時並行に進めてきた生涯だったが

本性はその真逆だった

よくピストルで

脳髄を撃ち抜いたりせずに耐えてこられたものと思う

 

でも

そろそろ

もう

いいよ

 

そろそろ

寝食を忘れ

現代語を忘れて

ひとつことに集中して令和に戻ってこなくなっても

いいよ

 

わたしは

わたしに

言いはじめている

 





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