Don’t give any energy to what doesn’t happen.
Osho
イエス・キリストが生まれた年をもって
紀元1年とするわけだが
イエスは生まれた時からキリストだったわけではないから
キリスト暦のはじまりは
彼がキリストになった時に設定すべきだ
という考え方がある
(イエスは実際は紀元4年頃に生まれたのでは?
といった説もあるが此処では省く)
彼がキリストになったのはいつか?
というのも大問題だが
とりあえず
洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時とすると
30歳頃ではないか?
とよく言われているのだが
いやいや
26歳頃ではないか?
という説を出してくる人たちもいる
26歳説は
人類終焉の予言に愛着のある人に
すこぶる
受けがいい
例の有名なノストラダムスの大予言の
「第10巻72番」の詩
「1999年7か月、
空から恐怖の大王が来るだろう、
アンゴルモアの大王を蘇らせ、
マルスの前後に首尾よく支配するために」
これは
みごとにハズレたかに見えたわけだが
イエスが26歳でキリストになったという説を採れば
1999年より26年遅らせて考える必要が出てくるので
2025年こそが
空から恐怖の大王が降ってくる
ということになり
巷で大流行の終末預言の
2025年7月5日の隕石落下説に
みごと
ぴったりハマってくることになる
となると
2025年7の月
空から隕石や人工衛星のたぐいが降って来て
世界に大災難がもたらされ
古代の大王が蘇ることになる
軍事の支配的となる時代があるが
古代の大王のよき支配となるだろう
といった予言が浮き上がってくる
なぜだか
「アンゴルモアの大王」を
天皇のことだと見なしたい人々が
日本には多くて
どうしてモンゴルの大王とか
ハン帝国の大王だとかを
考えないのだろう?
と首をかしげたくもなるのだが
まあ
そういうところに
せめてもの夢を見ておかないと
いまや凋落はげしいニッポンの民にとっては
もはや
救いがないのかもしれない
ともあれ
2025年7の月に終末が来るという説を唱える人たちは
2025年7月と言われていたのが
どうやら早まって
今年2024年に大きな地震がたび重なり
大津波も重なって
日本列島の太平洋側は相当の被害を受ける
と言い始めている
これらの後に
2025年7月の決定打が来る
というのだから
今年から来年にかけては
絶叫型の長大ジェットコースターに乗ったような
日本列島龍神の度肝を抜く踊りに
ながながとつき合わされることになるのだろう
『千と千尋の神隠し』のハクにでも乗った気になれば
ちょっとは
神事めいて感じられてくるかもしれない
ところで
もし
2025年7月になにも起こらなかったら
どうなるの?
もちろん
その場合は
終末思想業界は
イエス30歳洗礼説にサッと乗り換えて
2029年7月終末説を唱えはじめるだろう
それさえもハズレたら
そもそも
イエスはキリストになっていなかった説を打ち出してきて
基板となる発想そのものをご破算にしかねない
だいたい
ユダヤ人ははじめから
イエスをキリストとは認めていない
マホメットなど言うまでもなく
で
あの始末
けれど
存外
天照大御神は
認めるかもしれない
例の
伊勢神宮=ユダヤ教説
思い出しておこう
伊雑宮は
イザヤが来たところで
あの下には
トーラーを守るユダヤの聖櫃が埋められている
という
あれ
伊雑宮の石燈籠には
ダヴィデの星が刻まれているし
伊勢神宮の内宮から外宮に至る道の石燈籠にも
ダヴィデの星があった
京都の真名井神社から掘り出された石碑にも
ダヴィデの星があり
個人的に訪ねたところでは
仁和寺の奥のほうにも
燈籠にはダヴィデの星が刻まれていた
とはいうものの
まあ
さて
さて
さて
この世に流行る終末論は
どれもこれも
わが鶴屋南北先生の御作ぐらいに考えて
せいぜい楽しんでおくのが賢いところ
鶴屋南北先生どころか
ひょっとしたら
山田風太郎先生の謹製かもしれない
世はなべて
『魔界転生』に過ぎない
ところで
ユリウス暦でいう1999年7月は
現在使用のグレゴリオ暦に換算すれば
1999年7月14日頃から8月14日頃までになるから
2025年7月になんにも起こらなかったぞ、イェーイ!
などと気を抜いていると
もうちょっとしてからガツンと来る可能性がある
2025年7月から8月上旬頃までが
なんとも香ばしい
終末の季節である
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