英語でなら
Zhuangzistとでも言ったらいいのだろうか
ムリもせず
ごくごく自然に
身にぴったり合ったかたちで
荘子主義者として
一生を生きてきたが
そろそろ
この秘密を暴露し
信仰告白をしてもいい歳に至った
荘子のテキストは
どこを見ても
こちらの霊が生き生きと復活してくるような
壮大なスケールのお話に溢れているが
それらのもっとも強烈な部分に触れるには
教養としてはじめからシブシブ読むような者ではたどり着けない
途中以降の箇所を読んでいかないといけない
大宗師第六の
子祀・子輿・子犁・子来の四人の話など
発想や表現の偉大なこと
世俗を突き抜けた禅僧なみなのはもちろん
さらに
ほとんど
ガルガンチュアとパンタグリュエル物語なみである
子祀・子輿・子犁・子来の四人が語りあった。
「こんなやつ、いないものかなあ。
無を頭とし、生を背骨にし、死を尻にできるようなやつ。
死・生・存・亡が一体のものだと知っているやつ。
いないものかなあ。
そういうやつとなら
友だちになりたいもんだよなあ」
顔を見あわせて
四人は笑いあい
心が通いあい
そのまま
友だちになった。
ほどなく子輿が病気になった。
子祀が見舞いに行った。
すると、子輿がこんなことを言う。
「偉いなあ、あの造物者というやつは。
おれの身体をこんなにひん曲げやがって。
でっかいこぶが背中にできて
五臓は頭の上にあるし
顎は臍のあたりに隠れ
両肩は頭のてっぺんより高く
髪のもとどりは天の方を指しているんだぜ。
陰陽の気のいたずらのせいだよ」。
子輿は落ちついて
何ごともないかのように
足を引き引き井戸端まで行って
水面に映る影をのぞきこんで
言った。
「ああ、あの造物者め、
また、おれの身体をこんなにひん曲げやがって」。
子祀がたずねた。
「それがいやなのかい?」
子輿が答えた。
「どういたしまして。
いやがるわけがないじゃないか。
いずれ症状が進んで
おれの左腕をニワトリにでも変えてくれるな
ニワトリになって時を告げてやるさ。
右腕を弾き弓にでも変えてくれるなら
そいつでフクロウを射て焼き鳥にするさ。
おれの尻を車輪に、おれの心を馬にでも変えるんなら、
その馬車に乗ってやるまでさ。
そうしたら、人さまの馬車の世話にならずにすむものなあ。
たまたま生まれてきたのは
めぐりあわせた時のおかげだし
たまたま去っていくのも
めぐりあわせに従うまでのことさ。
時に任せ、運命にしたがえば
悲しみや喜びの入りこむ余地はない。
これが昔の人のいう「県解」(束縛からの解放)というやつだよ。
それなのに
自分を解放できずにいるのは
外的な事物にからめとられているからさ。
だいたい
天にうち勝てる事物なんて
これまであったためしがない。
こんなふうに思っているおれが
どうしてこの病気をいやがるものかね」
ほどなく子来が病気になった。
ぜいぜいと苦しげな息づかいで、今にも死にそうだ。
妻子は彼のまわりを囲んで泣いている。
子犁が見舞いに訪れ
子来の妻子たちに言った。
「しっ。下がった、下がった。変化のじゃまをしちゃいけないよ」
それから
入り口の戸にもたれて
子来に話しかけた。
「偉いなあ、造化の力は。
君を今度はなにに変えようとし
どこへ連れていこうとするんだろ
君をネズミの肝にでもするつもりかな
それとも
昆虫の腕にでもするつもりかな」
子来が答えて言った。
「子どもは父母に言われたら
東でも西でも南でも北でも
言いつけどおりに行くものだ。
人間に対する陰陽の力といったら
父母の子どもに対するどころじゃないぞ。
その陰陽がおれを死に近づけている時に
おれがもし逆らったりしたら
とんだひねくれ者ということになる。
陰陽の責任じゃない。
そもそも天地は我々に形を与えて地上に送り
命を与えて苦労させ
老いを与えて安らがせ
死を与えて休ませる。
そういうわけだから
よく生きる者であってこそ
はじめてよく死ねるんだよ。
鍛冶の名人が金を鍛えている時に
金が躍り上がってきて
『おれはどうしても名剣になるんだ』
と叫んだりしたら
こりゃあ不吉な金属だ!
と鍛冶師は思うにちがいない。
ひとたび人間の形をして生まれてきたやつが
『人間でなきゃいやだ、人間でなきゃいやだ』
などと言ったら
なんて不吉な人間め!
と造物者だって思うにちがいない。
天地を大きな坩堝と見立て
造物者を鍛冶の名人と見立てるなら
こんな自分がどうなろうと
まったくかまわないじゃないか。
安らかに眠って
ふっと目覚めるまでのことさ」*
子祀、子輿、子犁、子來四人相與語曰:「孰能以无為首,
俄而子輿有病,子祀往問之。曰:「偉哉夫造物者,
子祀曰:「女惡之乎?」
曰:「亡,予何惡!浸假而化予之左臂以為雞,予因以求時夜;
俄而子來有病,喘喘然將死。其妻子環而泣之。子犁往問之,曰:「
子來曰:「父母於子,東西南北,唯命之從。陰陽於人,
荘子の時代にはこんな人々がたくさんいて
生死のことなど
楽々と乗り越えていた……
などと思うのは
もちろん早計に過ぎる
そんな人々がほとんどいなかったからこそ
荘子はこのように書いたのだろう
子祀・子輿・子犁・子来という
余裕綽々で
生死を手玉に取る四人も
あくまで
荘子のテキストの中にのみ現われ得た人物たちであったろう
ちなみに
この四人の話の冒頭
顔を見あわせて
四人は笑いあい
心が通いあい
そのまま
友だちになった。
と訳したところは
原文では
四人相視而笑,
莫逆於心,
逐相與為友。
となっている
気心の通じあった親しい友を表わす
「莫逆の友」という表現は
ここから生まれた
昔は
「ばくげきのとも」
と習ったように思うが
今は
「ばくぎゃくのとも」
とも読むらしい
*福永光司訳に沿いながら、かなり変更した。
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