2017年10月4日水曜日

『シルヴィ、から』 31

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

 (第十八声) 

 ウィンチェスターを彷徨する声よ、おまえは語らなくていい。そこでは、わたしはシルヴィを目にすることさえなかったから。

わたしは覚えている。
その町を、わたしはあの娘とともにうろついたのだ。最初の晩、いっしょに踊ったあの娘。この日、娘はいくらか布地の粗い青い服で身を包んでいた。型に嵌った、町でよく見かけるような姿だった。人目を惹くような特別な趣は、まるでなかった。
 わたしと娘の他、数人がいっしょになって町を歩きまわった。
チャペルに入ったり、書店に寄ったりした際、娘はいろいろなものを詳しく見るので、時々、わたしたちに遅れをとった。
各自自由行動をしてよいことになっているのだから、わたしたちから離れてしまっても支障はないのだが、娘が遅れるたびにわたしも歩みを遅らせて、それとなく娘を待っていてやった。そして、娘が説明を読み終わったり、彫像を納得のいくまで見終えて、顔をこちらへ向けたりした時に、こっちだよ、というふうに手まねきしてやるのだった。
 何度もこれがくり返された。
わたしと娘の間には、他の人たちの間にはない、なにか特別なものが生れ始めていた。いや、生まれ始めていたというより、確認されつつあった、と言い直すべきか。
この娘に、なにか捨てがたいものをわたしは感じ始めていたのだった。
それは、言ってみれば、この娘とならば、けっして飛び切りの幸福を得ることはできないとしても、日常的な平穏を得ることはできるだろうというような確かな予感だった。
この娘はわたしを疲れさせることはないだろう、彼女の機嫌をいつも窺っていなければならないなどということもないだろう、ーーそうわたしには思われたのだ。
しかし、もしこれがシルヴィの場合ならどうか。
シルヴィはわたしを疲れさせる、おそらく、一時も休ませてくれることはないだろう。もし、シルヴィを求めるならば、わたしは、幸福だと自分で信じているものによって、滅びるかもしれない… そんな大袈裟なことさえ思われてきた。

 帰りの時間までにバスに戻るために、わたしたちは町の中心の大通りの長い坂を下って行った。
わたしの傍らに娘がいた。
この坂がいつまでも続けばいいのに、とわたしは思った。
俯いて歩いているこのごく平凡な娘、とりたてて人目を惹くところのないこの娘を、わたしは妙にいとおしく感じてきていた。
歩きながら、長い間、細かい薄く赤錆びた金属の糸くずのような縮れた彼女の髪を見つめた。
シルヴィの髪のように、これも金髪だった。だが、縮れているために、この国の空の柔らかい光を反映することもなく、金色の印象を人に与えることもなかった。
その髪の中に眼差しを指のように挿し入れながら、わたしは、この娘ならばわたしを理解しようとしてくれるだろうと思った。わたしを理解し慰めてくれるような人は、このような娘に違いないと思った。
この娘とともに居れば、どんな時でもわたしは心の必要以上の重荷や煩わしさから解かれることができるだろう、と思った。わたしはこの娘を媒介とすることで、わたし自身と《現実》の中に囚われているわたしとを、かなりの程度まで一致させて生きていくことができるだろう。そして、そのように生きることこそ、とにかくも、この《現実》を生きていかねばならない人間にとっては、さしあたって最も幸福な生き方に違いないのだ、と。
 娘に声を掛けようか。
わたしにとって特別な存在となってくれるように頼もうか。そうして、シルヴィのことをきっぱり切り捨ててしまおうか。
 ……いや、わたしにはできない。
今度ばかりは臆病だからではない。
わたしはシルヴィを切り捨てることができないのだ。
娘に声を掛けることができないのではない。
まず、シルヴィという問題を解決しなければならない。
どうなろうと構わないが、とにかく、どうにか決着をつけねばならない。
決着をつける?
いや、どうにか運命にそれを、決着をつけてもらいたいのだ。
なぜと言って、わたしには手の出しようがないのだから。
それとも、シルヴィのところへ行って、わたしを好いてくれるか否か、直に聞いてみるべきだろうか?
お笑い草だ。
シルヴィの仕草に、彼女の心根を読む他はない。

   (第十八声 終わり)



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