2017年10月7日土曜日

『シルヴィ、から』 34

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

 (第十九声) 3 

 (承前)

 その翌日、7月もその日限りという日、小さな屋内プールで、午前中に水泳大会が行われた。
背泳の競争でわたしは一位になった。
プールから上がって、プールサイドにいっぱいに集まった人たちの中にシルヴィの姿を探したが、彼女はどこにもいなかった。朝食にも来ていなかったために、シルヴィはどこか具合が悪いのだろうかと、皆の間で朝から囁かれていたのだった。
プールを離れて、ひとり、わたしは早々に着替えを済ませた。そして、以前、シルヴィの辞書にサインをした場所、あの女子の宿舎の前の階段に腰を下して、本を開いた。それは、荷物の間に入れて持って来ていたわたしの国の詩人の詩集、文庫版の朔太郎詩集だった。
昨日から、わたしはどこへ行くにもこれを携帯するようになっていた。
最初から順を追って読んでいくというのではなく、行き当たりばったりに偶然開かれたページの詩を読むのだった。詩の全体を読まず、数行を読むに留めて、他のページを繰ることもしばしばだった。そのため、詩を読むというよりは、むしろ言葉を読んでいるといったほうがよかった。
そういう読み方をしているわたしは、おそらく、なにかを探しているのだった。はじめは、より快い詩句、より快い言葉を探しているのだろうと思っていた。そう考えても間違いではないが、やがて、それよりはむしろ、自分の今の状態を一言で終わらせてくれるような絶対的な力を持った言葉、内奥の収拾のつかないこの苦しい状態を一瞬に封印してくれるような言葉を求めているのだと思うようになった。
だから、わたしの意識はこの詩集にだけ向かっていたのではない。この詩集に入り込む以上に、わたしはわたし自身の言葉の領域へと、よりいっそう深く踏み入っていた。
わたしは、いろいろな言葉をつかまえては投げ捨てた。
あらゆる言葉を試すために、目に入るものをすべて言葉にして発音してみた。
たとえば、空。
たとえば、雲。
白い雲。
青い空の中に浮かぶ白い雲。
いや、やや紫がかった白い雲。
綿飴のようにまわりが散り広がる雲、雲たちの流れ。
その流れの下のわたし。
階段に座っているわたし。
詩集。
歩いてくる人。
やがてはわたしの横を通り過ぎていくに違いない歩行者。
友。
水泳の後の潤った肌。しかし、消毒されたプールの水のためにすぎに乾き、艶を失って行く肌。
昼食までの中途半端な時間。
時間つぶし。
遊び。
森。
離れて一本だけ立っている大きな樹。
その下のベンチ。
ひとり。
たったひとり。
この合宿所の大勢の中でのひとり。
ひとりということ。
……シルヴィ?

  (第十九声 続く)



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