妙とはたへなりとなり。たへなると云ぱ、形なき姿なり。 形なきところ、妙体となり。
世阿弥「花伝書」
寺西幹仁さん
詩誌「詩学」の最後の編集長
彼のかたわらには面白い人がいて
重金徹さんといった
はじめて会ったとき
詩人なんです
と自己紹介してくれた
どんな詩を書くの?
と聞くと
まったく何も書きません
と答えた
コンセプチュアル詩人
な
わけだ
ほう、「詩学」は
ついに最高峰のメタ詩人を生んだな!
と感嘆した
理論上
これ以上の詩人はあり得ない
なにも書いておらず
なにも書かない
断じて書かない
書くつもりはない
而して
詩人だと名乗り
詩人だと自己認識している!
なにをふざけたことを……!
などと
思うような
言うような
詩人さんワナビーは
その時点でアウトである
詩人にもっとも遠い無粋さんであることが
証明されてしまう
平成の
にっぽんの
東京で
ついに極まったな
詩は
詩人は
けっこうなことである
めでたいことである
禅である
空である
無である
しばらくして
寺西幹仁さんは編集室で急死し
翌日だったか
遺体となって発見された
重金徹さん
いまどこにいるのかな?
元気かな?
詩人
してますか?
もちろん
不滅
と思う
なにも書かないこその詩人は
不滅
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