2022年12月21日水曜日

象徴もまたどんな場合でも代替物でしかなく

 

 

メラニー・クラインによれば

乳児は

自分が全的に依存している母親の乳房を

完全に自分のものにしようとする

 

しかし

母親の乳房が

他者である母親のものであるかぎり

どこまで行っても

全的所有はできたことにならない

 

自分が乳房そのものにならねば

全的所有できたことにならず

乳に完全に依存している自分の生命と存在は

どこまで行っても不安定なままとなる

 

そのため

母親の乳房は破壊され

完全に消滅しなければならない

乳児の精神の中で

この破壊工作が起こることになる

 

この破壊工作は

精神の内部での象徴的な出来事であり

象徴は実態ではないので

乳房にまつわる工作は

どこまで行っても完遂され得ない

 

にもかかわらず

工作は続く

成長していく過程で

どこまでも

乳児期に開始された工作は

続けられていく

 

主体が手に入れるものは

どんな場合でも

つねに

代替物でしかない

 

言葉やイメージが

つねに

代替物でしかないように

 

象徴も

また

どんな場合でも

代替物

でしかなく

“それそのもの”

ではない

 

ここまで

ぼんやりと思い直し続けてきて

クラインを

パラフレーズしてきて

ハッ

思いつき直すのだ

 

日本国憲法

という

症例のことを

 

天皇は日本の象徴…

 

つまり

天皇は日本ではなく

日本そのものではなく

代替物であり

どこまでいっても

日本とは切断されている

 

象徴と

それが表わすとされる“そのもの”の

繋がりは

つねに

一部の幻想共有者による

思念的談合に過ぎない

 

象徴である

ということは

“そのもの”ではない

という

あからさまな

証明である

 

 


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