2023年9月20日水曜日

この世ならぬ豊かさで過ごす

 

 

 

住んでいるビルに

エレベーターがふたつある

大きいものと

すこし小さめのもの

 

大きいほうには

奥の壁に鏡がついている

けっこう大きな鏡だ

 

ゴミ捨て場は地下1階にあるが

大きなエレベーターだけが

地下1階まで下りていく

小さなエレベーターは

地上1階までしか行かない

なのでゴミを捨てに行く時は

大きなエレベーターで行く

小さなエレベーターで地上1階まで行き

そこから大きなエレベーターに乗り換えたり

非常用階段を下りていく時もある

 

ぼくがゴミを捨てに行くのは

たいてい深夜から夜明け頃なので

巨大なビルの中を大きなエレベーターで下り

地下1階のエレベーターホールに出て

そこから廊下に出てゴミ捨て場の部屋に入る

 

引っ越してきてしばらくは

こういう一連の移動動作に伴う風景の変化に

けっこうゾーッとさせられたものだが

もうすっかり慣れてしまった

 

巨大なビルの深夜から夜明けというのは

案外と幽霊やお化けのたぐいも出ないものだ

実地でそうわかっただけでも

ここに住んだのはよかったかもしれない

幽霊やお化けも現代では甘い夢のたぐいなので

益のない無意味な夢を捨てていくという意味では

こういう即物的な空間に住むのも悪くはない

 

ところが大きなエレベーターで

地下1階のエレベーターホールに出て

そこから廊下に出るたびに

今でもちょっとだけゾーッとし続けている

エレベーターが閉まるまでのあいだ

エレベーターの奥の大きな鏡が見えている

だれもいないはずなのにそこにだれか

映っていそうな気がしてならないのだ

 

エレベーターのドアが閉まっていく時に

奥の鏡にチラッとだれか映りそうな気がする

だれか映ったことなど一度もないのだが

もし映るのが見えたらどうしようなどと

毎晩思いながら鏡を振り返るのだ

 

だれかが映ったらどういうことなのかというと

ぼくの側のぼくの近くにそのだれかは居ることになり

ぼくはぼくのまわりにだれも人は見えないのだから

どうしたって鏡にだけ映る異界の者ということになる

それに気づいちゃったらどうしようかなと思う

毎晩毎晩鏡が見えなくなるまで思い続ける

 

ゴミ捨てが終わってぼくの住む階に戻って来る時も

エレベーターから出ると奥の鏡が見える

歩き出すぼくの姿を鏡は映してよこすだけで

ほかにはもちろんだれも見えないが

ドアが仕舞っていく最後の瞬間

もうぼくの姿も映っていない鏡に

ひょっとして今夜はなにか映ってしまうかもしれない

そう思いながらドアが閉まるまでのわずかな時間を

ぼくはほんとうにこの世ならぬ豊かさで過ごす





 

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