だれに向かって
ぼくは
書いているんだろう?
だれに向けても
書いてなんかいない
と言い切れば
なんだか
スパッとしてかっこいい
かっこいい
ことばづかいをしたい人も
多いね
そうして
詩人
なんて
名乗っちゃったりして
でも
だれにも向けずに書いている
と言い切ったら
やっぱり
ずいぶん大きなウソをついている
と思える
だれかには
向けているんだと思う
それがだれか
ちょっと真剣に検討しはじめれば
非常にめんどうになってくる
説話論の研究テーマに
いきなり入り込むからだ
自由詩形式を使って
ぼくが書きはじめた頃は
ことばを向けている相手が
現実の人間として存在していた
何人も存在していた
知りあいだったり
友人だと思っていたりした
人びとだったが
こんなことをこういうふうに書いたら
かれらはどう思うだろうか?
と考えながら
書いたものだった
かれらも最初のうちは
感想をくれたり
ながながと批評をくれたりした
けれども
かれらの予想に反して
ぼくがあまりにいっぱい書き続けるものだから
(自由詩形式で書くことなんか
どうせすぐに行き詰まってやめてしまうだろう
とだれもが思っていたのだ)
ぼくのほうで
感想とか批評とかはべつにいらないよ
つぎつぎと書き過ぎるぼくだものね
などと言いつたえて
かれらに手間を掛けないように配慮した
紙に印刷して雑誌のかたちにして
週に二度も三度も封筒で送っていたけれど
相手に封筒を開けさせる手間や
リサイクルゴミに雑誌を捨てさせる手間を考えれば
メールのかたちにしたほうがいいなと決断して
15年前ぐらいの時点で
紙媒体は完全に捨ててメール配信の雑誌にした
メールならば読まなくても
「迷惑メール」に設定しておけば
ぼくの書き送るものにかれらは煩わされない
とてもスマートな無視のしかただ
いまでもおなじやりかたで送っているが
じつは宛先になっているかなりの人びとが
すでに死んでしまっていたり
消息不明になってしまっているのを
ぼくは知っている
死んでいるのにメールだけは届いているのだ
消息不明になった人びとは
どうしてそうなってしまったのかわからないが
特別にこちらで失礼なことをしたわけでもないので
むこう側の事情でフェイドアウトしていったと見える
それでもメールがエラーで返ってきたりしないから
宛先としてのむこう側へは確実に届いている
とすればぼくのメールを
すべて「迷惑メール」に設定しているはずだ
たまに「迷惑メール」のボックスを覗いてみて
ぼくがまだ自由詩形式で書き続けていると呆れ
いったいぼくのような人間ってなんだったんだろう?
と一瞬思ったりして
しかしすぐに
現在のかれらに戻っていくのだろう
こういった一連の想像をしながら
ぼくは考えているのだ
だれに向かって
ぼくは
書いているんだろう?
自由詩形式を使って
ぼくが書きはじめた頃に存在していた
ことばを向ける相手としての
何人もの
現実の人間たちが
もう
ほとんどいなくなってしまっている
この2023年に
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