眠りのあいだや
覚醒のまぎわ
また眠りに落ちる水際
しだいに体の醒めていく時の流れのあいだに
ためつすがめつ
くりかえし
くりかえし
確認を続けてきた結果
やっぱり
自分というものは
ないんだナ
そう確信してきている
体の死ぬ時
自分というものがあるかのような感覚も
きっとすっかりなくなるはずだが
もともと
ないものなんだから
べつに
どうってこともないわけなのだ
自分
自分
という焦点を軸にしてまわるような
そんな意識も
死とともに
きっとサッパリなくなってしまうだろうが
中心もなければ
思いの向きも
声もない
声の行き来もない
ほのかな光の広場のような
しずかな意識はあり続けるかもしれない
けれど
それはもう
何語も通じないところ
口も舌もなければ
耳もないところ
覚者たちはみな
現世での学びや経験が
死の後にはなんのたしにもならないと言い
むしろ
学びや経験に伴ってこびり付いてくる矜持や慢心が
死後にはたいそうな障壁になると言うんだが
それはそうだろう
知や理のまったく通じないところで
心さえ剥離したところ
けれど光のような意識だけが花開いていて
自分がなく
私という思いがなく
輪郭も区切りもなく
どんな交流も
共同もなく
しかし孤独もなく
闇もなく
はじめもなければ
終わりもないところ
なのだから
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