2016年2月12日金曜日

新短歌雑誌『口語紀』序文を詩形にもせず載せておく



短歌については、他に『めひしば』というメール短歌誌を用意してある。そちらには、古典的かなづかい、近代から塚本邦雄系の歌風の擬古的な作を載せることにしてある。20代から作って来た紙媒体の短歌誌のうち、廃刊していないものも猶いくつかあり、それらも合わせれば作歌数はたぶん3万には達しているが、面倒なのでもう数え直す気はない。

しかし、21世紀の今、字余り字足らずを積極的に採用し、古典的かなづかいなど一顧だにしない口語作品に中心を移さない限り、短歌は立ち行かない。今生きていれば80歳を越えていた、最も効果的な作歌者のひとり寺山修司を読み直すたびに痛感させられることに、彼が現代かなづかいしか用いなかった事実があるが、なるほど、文芸においては時代時代に移り変わる表現形態に四の五の言わずに沿い寝していくことが最重要である。既成の、あるいは古風な表現を用い続ける人々は、しばしば文化をひとり担い続けるかのごとき矜持によって滑稽至極であるが、数十年の後、とりわけ死とともに、彼らはあまねく亡び、誰よりもはやく忘却されて行く。残っているのは、最も博物館的な要素を集めたわずかの著作者たちに過ぎないだろう。福田恒存は出版社の必死の下支えで資料的価値から残っても、あれに追従したたくさんの大学教授たちや市井の文人の類は、単に書籍の売れなさによって波に洗われる砂浜に描かれた表象のように消え去っていく。文化というのは絶えざる更新にこそ本質があり、古いやり方やいっそう合理的であったかと見えるやり方の保存は、じつは“一般意志”にとって全く重視されていないという恐るべき事実に気づいておかないと、文芸に関わる者たちは、甚だしい時間と労働の浪費を強いられることになる。古代エジプト言語や古代フェニキア言語で表現し続けようなどという考えがそもそも異常なのはだれでもわかるが、これが、例えば小林秀雄や林達夫ふうの、あるいは丸山真男ふうの、伊藤静雄や高村光太郎ふうの、いやすでに同様に古びて見えるはずの田村隆一や鮎川信夫ふうのひと昔前の表現形態や文体で書こう、考えようとなると、たちまち滑稽さや異常さが見えなくなってしまうのである。詩歌であれば、今の書き手にはすでに、吉増剛造や入沢康夫の文体さえ古色蒼然としか見えない。吉岡実の若干の詩句はあのぶっきらぼうさのゆえに生き延びているだろうか。助詞助動詞を極度に警戒し、抒情を回避し続けた滝口修造の詩句には可能性があるだろうか。吉本隆明のような変貌し続けた文体家が、別の角度から再考に値すると見えてくるのはこんな場面においてである。

神霊修行を人生という期間限定の旅の中心に据えた神秘家であるわたくしにとって、文芸はいわゆる言霊の実践的研究の域を出ない。神霊修行者にとって、社会的言語表現や知性活動はしばしば禁制対象であり、近代社会における言語表現優位と理性優位にはまったく同意できないが、肉体的社会的な網の目の中に物質世界の仮設キャンプを置いている都合上、しかたなしにつき合わざるをえない。たまたま日本という特殊な文芸事情を蓄えた地に居あわせているので、そうした仕方なしのつき合いの中には短歌も入り、俳句も入ってくる。長歌も旋頭歌も片歌も、いや、謡曲創作も入れるべきではないかと指摘されればそれももっともなことであり、数十年前にそれらに打ち込んだこともあったが、個人的には、短歌形式にさらに慣れることでそれらは超克できるとの結論に達した。

結果として、今のわたくしは、短歌、俳句、自由詩、ときに定型詩、小説、随筆、論説文、説明文などの形式を同時並行して試しつづけてみているが、情けないことには、これらのどれひとつとして、選びとって集中没入すべき対象とは思えない。言葉によっていることの壮絶なまでの不自由さと物悲しさに、やはりわたくしはいつまでも馴染むことはできなさそうである。

20代の約6年を、わたくしは全く読まず、書かないで、ヨガと瞑想だけしてアシュラムで過ごしたことがある。あの頃に生の課題はすべて解決してしまい、その後は“下界”に降りて、まるで人間ででもあるかのように世塵に交じって言語表現をしたり社会のさまざまな網の目のありようを認めたりするふりをしてきている。わたくしの言辞に人間一般を見下したような色合いが抜けないのは、こうした経験から来る。

もちろん、社会にあって見せ続けるそのような態度は擬態であり、仮装なのだが、そろそろそのような仮装は棄てる頃あいに近づいている…などという幼い衝動を懐かしく奮い立たせようなどという思いが湧くわけもないので、仮装は仮装のまま、擬態は擬態のまま、社会生活の然るべき場所に配置し続けていこうと思っている。

言語学の基本を思い出すまでもなく、言語は単語レベルからすべてフィクションであり、意味論的にも統辞論的にも恣意的なフィクション構造から構築されることで、さらなるフィクションを形成して、いわゆるコミュニケーションに用いられる。人類はあらゆる点でフィクションでのみ成り立っており、こういう現象の束に対して、価値論的言表を新たに重ねても、それを支える上位価値論はなんら基盤を持ち得ない。また、フィクションの体系は、かならず別の無限の体系によって否定され続けたり、無視され続けたりする。当然、破壊の対象ともされ続ける。今の人類の文明を尊重したり、その保護に汲々となる必要もない道理である。このあたりは、ラブクラフトやフィリップ・K・ディックによって教育的な表現がなされたといえるのかもしれないが、やはりボルヘスによって最も効果的な表現が行われたものと認識している。

太宰治がかつて、人生は見飽きた映画を見続ける勇気だと言ったことがあったが、人生ばかりではない、宇宙現象や存在と不在の構造などもすべて、見飽きた映画に過ぎない。このことは、なにひとつこの世に物質的なものを残すまじと心がけ、世俗に生きる人間たちのあらゆる価値論に染まらないように努めている瞑想家や神秘家、神霊家ならば誰でもわかっており、その故に彼らは社会から、また社会的価値論の網の目からも身を引く場合が多いのだが、そうした伝統的すぎる行為もまた、見飽きた映画のようなものではないか…と退屈してみせるところに、かつてクリシュナとして生まれたことのあるわたくしの、短歌とのつき合い方の根拠がある。
 
じつは、他には一切の根拠はない、とも言える。

    

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