2018年7月15日日曜日

上祐さんに花束を 1995年5月17日


Nouveau Frisson 37号(1995年5月17日発行)所収
(20世紀終わりに作っていた個人誌の古い文章であるが、 当時の知的感情的状況をなかなかよく伝えており、現在でも大筋で見解の変わっていない内容であるため、ここに採録する。先頃の幹部処刑に際して、オウム真理教がたんなる反社会的集団やテロ集団であるに過ぎなかったかのような貧しい受けとめ方が蔓延していることに衝撃を受けたことが、この採録の理由である)


オウム真理教に関してはなにも語らない? 何事かを語ろうとすることに誰もが陥りやすいのと同じように、語らないでいよう、断じてひとことも語ることなく、言説のこのヒステリー状態をいかにも悟り切ったふうに取り澄まして過ごしてやろう、そう周囲に見せてやろうというせせこましい決意の選択にも、おそらく、誰もが実際のところ陥ってしまいそうだったのではないか。ほとんどの在日本・日本国籍所有者たちにこう思わせてしまったという一事だけをみても、オウム真理教という固有名詞のもとに出現した問題群や、時には不可解で時には幼稚なイメージ群、未整理であるとともにしばしば出処不明の情報の束などがわたしたちに対して持ってしまった圧倒的な力(魅力?)は無視しようもないと考えるべきだろうが、このことを現時点で率直に認めておくことこそが、じつはいま採るべき最良の精神的措置であるのかもしれない。正直に告白し合おうではないか、こんな楽しい事件はなかった、と。サイコーだった、と。しかも、なんと、つまらなさの代名詞である「日本」のなかに、突如出現してくれて…  激烈さにおいてはたしかにまだまだ旧ユーゴやアフリカの比ではない。しかし、事件がわたしたちの想像力をこれほど手をかえ品をかえ掻き立て続けてくれたという点を思えば、まさに世界に誇るべき日本製の事件出現の国民的瞬間、とうっかりつぶやいてしまってもおかしくない大変ななにかが起こったのではなかったか。
たしかにこのような表現をしてしまえば、昨年の終わりごろに出版業界主導で画策されて、さほど失敗ではなかったとはいえ、やはり湿った花火の大会のような印象を拭えなかったオーエ真理教(むろん、おぞましい日本国憲法原理主義者たちの祭りも含めて考えるべきだ)の礎石行事に熱心だったようなひとびとからは、叱責を食らうことを当然覚悟しなければならない。だが、東京サリン事件自体よりも、それによってたちまち晴れの舞台に引き出されたオウム真理教そのものが、オーエ真理教信者たちに権力を委ねたままにしておくような状況を徹底的に吹き溌ばしてしまったと思える。日本は東京サリン事件発生を契機に、皮肉にもなにかをカルマ落とししたのではないか。サリン禊ぎといってもよいが、その間、これもまた皮肉なことには(というのは、それが、日本国にとって交戦状態にあるオウム法皇国の文化だからだが、ショーコー、ショーコー、ショコ、ショコ、ショーコーという国歌が日々かならずテレビやラジオから流れ、こどもたちはセンスのなさ抜群のこの阿呆らしさに心底こころを奪われ(「天才バカボン」でさえ超越されたかもしれない、父親たちもじつは浮き浮きし、まるでナイターの結果を気にするような具合に帰宅するやすぐにテレビをつけ、母親は上祐さんの日々の健康状態を思い、祖母は教祖や幹部の親たちの心痛に共感し、婚期を逃した津々浦々の長女などはひそかに青山さんの無事を祈り姉御肌のおかみさんなどは徐容疑者の沈着な仕事ぶりにほれぼれし、だれもが江川ショーコさんにむかつき、有田さんの禿に気づくとともに、テレサ・テンの急死の際にもひょっこり出てきたかれの仕事の手広さに驚き有機化学専攻の元東大教授の森先生が太い眉と団子っ鼻をぴくりともさせずに「私は真実しか信じません」と言えば言うほど笑い出したくなり、そして、なんといっても忘れてならない滝本太郎弁護士のあの悟り顔、あの落ち着いた口調、「麻原さん、俗世も悪いことばかりではありませんよ、戻ってきてくださいよ 」という、オウム事件十八番の名作中の名作であるあのセリフ(ういえば、松竹は絶対に「忠臣蔵」に負けないような新作歌舞伎を企画すべきである、セリフといえば他にもたとえば、「今度は麻原を殺す気ですか」とか、「私は潔白だ 」とか、「さあお布施するゾ、お布施するゾ、ハードにお布施するゾ 」とか、振り返ってみてもいまだ興奮さめやらぬ、とにもかくにも四角にも確かに、平成日本最大のショーが、ジャック・リヴェットも真っ青の信じがたいような長丁場で演じ続けられたのである。
 なるほどわたしたちは、心構えもなくある日突然に傑作に出会ってしまった際、それが傑作であると素直に認めるだけの寛大さに欠ける時が儘あるのは事実である。それだからこそ、今なおわたしたちは、やはりガキの遊びめいているとか、どうもわからんとか、とにかく不気味だとか、不可解だとか、それ自体ガキ的でもあり、不可解でもあり、不気味でもある論評をくわえて、この世紀の出し物の前をどうにか素通りしていこうとしているのだ。逃げ方の最悪のものは、倫理を振り回したり、宗教的誤解を責めたり、危機管理問題へと擦り抜けたり、人命の尊さなどといったものへと論調をじめつかせようとしたりすることである。趣味の合う合わないということはもちろん問題ではあろう。どうもロメロ的だとか、ロジャー・コーマン的だとか、やっぱりケン・ラッセル的だから嫌だとか、いやいや、台湾映画の落ち着きと品を持ち合わせぬ香港ムービーの浅薄さを彷彿とさせるところが我慢ならぬとか、そういう趣味の問題というものはたしかにある。しかし、この傾向の作品としては、ひとまず史上まれに見る興行成績をあげたわけでもあり、あなたのこころをあれほど日々酔わせ、熱中させたのでもあり、なによりも、切腹したあと次から次へと腸を手繰りだすかのように事件、逮捕、発見、疑惑、笑い、不気味、失笑、憎悪、恐怖、むなしさなどを連続的にほぼ11カ月舞台に乗せ続けえた才能には、やはり脱帽の他ないではないか。ほんと、あなた、ちゃんと楽しんじゃったんでしょ? 認めなさい。これから、第二次大戦後に形成された秩序がさらに次々華やかにぶつこわれていくなかで、日本がかろうじてひとの生存しうる土地であり続けうるには、まず、この場でいま、あなたがそれを認めなければならない。社会を震撼させる大事件とか、死者も出た事件を笑い者にするのは非常識だとか、そんなことを発言していればいいと思うやつらから、意地でも身を引き離す努力を続けること。他に生きのびる可能性など、たぶん、ないのだから。だいたい、オウム真理教のおぞましさを口をきわめてあげつらう連中のなかにこそ、この国の社会倫理を空洞化させてきた張本人がごそごそいるんじゃないノお布施とか、薬とか、洗脳とか、マインド・コントロールとか、麻原さんの大好きなカラオケとか、幹部と一般信者の差別とか、上位の人間への服従とか、そんなもの、現代日本社会の得意中の得意じゃないのサ。なんだったら、本気でそれらのお掃除に参加したげるヨ。本気でぶっこわしたげるヨ。泣きをみるのはテメーだぜヨ。それがいやなら認めなさい。「わたしがオウムです。わたしがオウムです。わたしこそオウムです。オウム的なもの、みんなわたしのなかにあります。そのオウム的なものが戦後日本文化でした。そのオウム的なもので受験戦争を戦い、隣近所の噂合戦を戦い、就職戦線を戦い、GNP競争やってきました。わたしがオウム。わたしがオウム。」と認めなさい。あなたこそ、信者だったでしょ? 戦後日本のえげつない、ごまかし空虚エテコー文化の信者。オウム法皇国とともに、これからみーーんな壊れていきます。わたしたち、五十年代・六十年代以降生まれの人間の意思表示は、ただ黙ってみていること。いい子にして、なーんにもしないで、じーっと、じーっと見ていること。
これって、ヘイワシュギでしょ? これって、ヤサシサってやつでしょ? すっごく、ニホンコクケンポウしてるでしょ?
 『文芸春秋』六月号では西部邁氏が、よりによってこの危機まっさかりの時期にアオシマやノックに投票してしまった都民や府民の、もはやどうにも救いようのない愚劣さを批判しており、ついでに、上祐さんに花束を持っていったOLたちの存在を、来るところまで来た日本愚民の象徴のように書いている。危機まっさかりの時にこれしきの知ったふうな高みの見物的批評を書いて、しっかりと原稿料は戴いて、まるで渡辺一夫を彷彿とさせるような賢者のへり下りぶりを世間に見せつけてしゃあしゃあとしていられる西部邁氏の見事な現世離脱ぶりは、それ自体むろん一見の価値のあるものだが、やはり公平に見て、上祐さんに花束を持っていったOLたちほどには解脱できていないのではないかとの疑念を残す態度であろう。彼女たちのステージは、すくなくとも、ハレ・クリシュナのひとびと、つまりクリシュナ意識国際協会のひとびとのレベルにはあると見なければならない。かれらの聖典であり、万人にとっての人生上の基本テキストでもある『バガバッド・ギータ』に書かれていることを、いまさらここで、わざわざ思い起こしてみるのも恥ずかしいようなものだが、戦争に参加するはめになって、敵の人間を殺すのをためらっているアルジュナに、クリシュナ神は、気にするな、すべては外見上そう見えるだけなんだから、とていねいに神としてのアドバイスをしたものだった。上祐さんに花束を持っていったOLたちには、クリシュナ神はアドバイスを与える必要もなかったにちがいない。見えるものすべてを乗り越える愛のこころ、あこがれのこころ。インテリや批評家やセンセイがたやおじいちゃんたちがどう思おうと、ここまで来ちゃつたニッポンなんです。もうだれにも、この愛のこころ、止められません。こころは限りなく憧れ歩く(クガレアリク〔古語〕)ばかり。ふらふらふらふら、行くばかり。
戦場に身をおく兵士のうちのだれに、戦略についての批諢をしている暇があろうか。わたしたちはもうすでに、戦場にいると見たほうがいい。トンネルを抜けると雪国だった時代ははるか遠くで、わたしたちの場合はトンネルを抜けると戦場だという、はるかにオーエ的時代にいるのだ。「さあ、救済計画をはじめよう!」とは、たしかにだれかによって口にされなければいけなかった言葉であり、わたしたちとしては、それが他ならぬ日本人によって語られ、全世界に伝えられたことに多少の面映ゆさと喜びを感じてよいのだろうし、また、この言葉の発し手の率いる教団によって、危機に瀕している戦争状態の地球のなかにやはりニッポンもあったのだったという、峻厳にして貴重このうえない覚醒を与えられたことを感謝すべきであるにちがいない。わたしたちがほんとうに愚民であるかどうか、それがわかるのは、これからの振る舞いひとつにかかっているのだろう。
とはいえ、わたし個人について言わせてもらえば、上祐さんの側にも、西部邁氏の側にも、OLさんたちの側にも、もちろんトウスポにも夕刊フジにも、公安警察スポークスマン的発言のきわだつ佐々淳行氏の側にも、めんどうだからつかない。みなさん、どうぞ、ご勝手に。もっとも、ただなにもしないでダラダラしているのもつまらないので、変化(へんげ)の術にでも打ち込もう。なにに変化するのかって? 例のOLさんたちが上祐さんに持っていったあの花束に。西部邁氏も佐々淳行氏もトウスポも夕刊フジも公安警察も、たぶん徐容疑者も、むろん上祐さんも見たはずの、あの花束に。ただし、言葉の花束に。



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