そういうけど、喜びがなくなっても、ただ生存し続けるわ。
ただ漫然とね。そのことに気づいても、自殺はしない。
ルキノ・ヴィスコンティ『イノセント』
なに憚ることもなく
だれに憚ることもなく
この世にたったひとりの友もいなければ
共感やたがいの理解のわずかの可能性のありうる人もいない
と言えるぼくなので
「ムーン・リヴァー」*の歌詞にある
Two drifters,
Off to see the world,
There’s such a lot of world
To see.
などというのを思い出すと
ありえない夢を垣間見させてくれるようで
ちょっと胸がキュウッとなる
Waitin’ round the bend,
My huckleberry friend,
Moon River
and me.
なんていうのも
ぼくほどに徹底して孤独な者には
痛切に響く
ハックルベリ―・フレンドなんて呼べるような友を
たったひとりも持っていない
孤絶のきわみの
ぼくなどには
ぼんやりと聴いていた頃には
「ムーン・リヴァー」は
恋愛の曲かと思っていたが
ある時よく聴いてみたら
馴染みの河に向かって歌っているわけで
そう知ってからは
映画『ティファニーで朝食を』のあの決定的な冒頭で**
ショーウィンドゥーを見ながらパンを齧る
オードリー・ヘップバーンの姿とともに流れるのも
なるほどよくわかるようになり
そこだけ何度も見直すようになった
オードリー・ヘップバーンは
あまりに有名過ぎて
あまりに取り沙汰され過ぎて つまり
あまりに通俗化され過ぎて
とにかく他人となにも共有したくないぼくにとって
好きではない女優のひとりだったが
『ティファニーで朝食を』の冒頭を見直すうちに
じつはオードリー・ヘップバーンのあの場面のような
あのようなしぐさをする女性だけを愛していたのか!
と気づくようになった
オードリー・ヘップバーンが好きではないのだが
『ティファニーで朝食を』冒頭の
オードリー・ヘップバーンだけが好きなのだ
なぜならあれがぼく自身のほんとうの自画像だから
そう気づくようになった
そう気づきながら
Two drifters,
Off to see the world,
There’s such a lot of world
To see.
などと聴き直し
いつのまにか
drifter
でしかないぼくに
すっかりなってしまったんだなあ
と思うと
国の雰囲気もまったく愛せず
民の特性にも吐き気するばかりで
たまたま滞在した時代には違和感しか覚えられず
まわりにも誰ひとり共感できる人もいなければ
尊敬できる人も
モデルにできる人も
たったのひとりさえいなかった
一から十まで
すべてムダのムダのムダに終わったこの列島での人生も
ひょっとしたら
『ティファニーで朝食を』のHolly Golightlyのように
それなりの行き損ないの型だけは
体現していたのか
と思えて
来ないでもない
でもね
もう二度と来ないよ
死んだあと
なにかの気まぐれから
生まれ変わって来るような際には
この列島にはね
もう二度とね
*Moon River (Lyric: Johnny Mercer. Music: Henry Mancini.1961)
Moon River,
Wider than a mile:
I’m crossin’ you in style
Some day.
Old dream maker,
You heart breaker,
Wherever your goin’,
I’m goin’ your way:
Two drifters,
Off to see the world,
There’s such a lot of world
To see.
We’re after the same
Rainbow’s end
Waitin’ round the bend,
My huckleberry friend,
Moon River
and me.
https://www.youtube.com/watch?v=C9YDR1260Zc
**https://www.youtube.com/watch?v=JuimqB3ofEI
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