2024年11月17日日曜日

ひとりひとりのサバイバル物語

 

 

 

若者たちに

小津安二郎の『東京物語』を見てもらっても

子というものが

老いた親を面倒に思ったり

遠く離れてしまったり

よそよそしくしたり

ともすれば邪魔者扱いしたりするように見えるところに

感情の波風が立たせられることになりやすい

 

しかし

子の側が

大人になるにしたがって非人情になるとか

冷たくなっていってしまうとか

ことはそんな簡単なことではなく

子の側ではコントロール仕切れない社会構造から来る

仕事面での要請や

子が組み込まれた社会境遇による縛りや誘導や命令が

現実には親と子を引き離していることを

うるさくは提示しないものの

小津安二郎はしっかりと描き込んでいる

生まれた土地を一生涯離れられなかったらしい

江戸時代の貧農のような暮らしのほうが

親の死に至るまで

親子の間の物理的な距離は生じなかったはずだろう

親から離れられないという諦めは強く

その諦めゆえに老いた親の世話は順当に行われただろう

 

明治時代以降の欧米型社会の導入こそが

生活のための集合体としてのイエに根源的な亀裂を入れ

老いていく人体からなる親子のさまざまな問題を

引き起こしている面は確かにある

移動の個人的自由はつねに置き去りにされる者を生むのだし

逆に言えば置き去りにされる者も

それまでの場所や境遇にしがみつき続ける自由を行使している

乱暴なようでも移動の自由を民衆から奪ってしまえば

家族についての現代的問題の多くが消滅する

ついでに核家族を禁止して

つねに三世代以上の同居を義務づければ

独居問題も解決する

こんな思考実験をしてみれば

個々人の性格や心の暖かさ/冷たさに責任転嫁されがちな問題のほとんどが

じつは社会構造から来ているのがわかってくる

 

尾道から東京に出て

日々忙しく働いていかざるを得ない長男や長女が

尾道から出てきた老父母に冷たいとか

邪魔に思っているとかという感想に

『東京物語』を見る者ははじめ陥りやすいのだが

そんな感想を持つこと自体

視聴者の側が

真の社会問題の考え方から深く目をそらすように

構造化されてしまっている証左だろう

医師免許を取ったら長男はすぐに尾道に戻って

故郷で田舎医者として生きればよかったということになろうし

長女にしても

田舎で美容室経営をしてもよかっただろう

それらの仕事がうまくいかないならば

地元の産業で働くように鞍替えし

造船だの醤油作りだの酒作りだのや

そこでの事務員をやるだの

べつの生き方をしていけばよかったことにもなる

 

映画のほとんどすべてがそうであるように

小津安二郎の映画もサバイバルの物語であり

『日常生活の冒険』という大江健三郎の小説の名を思い出すまでもなく

それゆえに古典的な冒険物語ということになる

時代から時代への激流のなかを漂う「家族」という船に乗り込んだ

ひとりひとりのサバイバル物語であるところに

小津安二郎の映画の特徴がある




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