2024年2月27日火曜日

いるようでもじつはまったくいない


 

 

 

言語は情報的でも伝達的でもなく、情報の伝達ではない。

こういったこととまったく違って、一つの言表から他の言表への、

またそれぞれの言表の内部での、指令語の伝播なのだ。

一つの言表は一つの行為を実現し、

行為は言表において実現されるからである。

ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ「言語学の公準」

in『千のプラトー 資本主義と分裂症』

 

 

 

 

ふと

気づき直してみれば

街で見えるひとびとは

みな

幽霊とおなじ

 

ひとに見えても

それぞれのべつの世界を

動きまわっているだけ

這いまわっているだけ

 

かりに

ちょっと言葉を

かわすことになっても

こちらにピンと来るような

おしゃべり相手にはならないし

納得のいくような考えの

やりとりもしない

 

人間ならこうあるべきだ

とこちらが思い込んでいるような

感情のそれなりの動きかたを

ぶつけあわせもしなければ

感情どうしを

味わいぶかく沿わせようとも

しない

 

いるも

いないも

おなじ

 

いるようでも

じつは

まったく

いない

 

見える人体が

じぶんとおなじ人間なのだ

と思うことこそ

むしろ

大きなあやまり

 

むこうから見ても

やはり

わたしは

幽霊とおなじ

 

いるも

いないも

おなじ

 

いるようでも

じつは

まったく

いない

 

だとすれば

いると思い込んできた

人間なんて

すくなくとも

ここら

そこらの街あたりなどでは

どこにもいない

 

なんとなく

人間がいっぱいいて

どこにでもいて

そんななかで

人間どうしの軋轢などが

問題であるように

思い込んできたものだが

まちがっていた

 

人体という乗り物に共通した

故障のしかたや

運転のしかたというものは

あるし

人心という装置に共通した

操縦のしかたや

故障のしかたというものも

ある

 

しかし

人体や人心のなかには

じつは

人間なんて

乗っていなかった

 

イメージや映像の海や

単語や文法の海が

もやもやした

見えないかたまりとなって

蠢いてはいるとしても

それだけのことで

人間なんて

どこにもいなかった

たったのひとりも

いなかった

 





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