私は、日本はいつまでも翻訳国なのではないかと思う。
正宗白鳥 『二葉亭について』
ラーメンに
なんの興味もない
修道僧なみの
簡素な食事をするタチなので
からだに悪い麺と
からだに悪いスープのくみあわせに
興味があるわけがない
海塩以外の味つけをしない
野菜煮の
自然の甘さで十分なので
いろいろ
ヘンなものを混ぜ込んだラーメンの汁が
許せない
しかも
昨今のラーメンは
高すぎる
B級のその場しのぎの食い物に過ぎない
たかがラーメンに
400円以上出す気には
どうしても
なれない
しかし
拒否はしない
ラーメンの汁は許せないが
許せないものとは断じてつき合わない
という
あたまの固いポリシーは持たないタチだし
踏み絵という踏み絵は
平気で踏んでしまえる柔軟性に富んでいる人間なので
食べるときは
食べる
で
ラーメン店の最先端が開店する地区
といわれる
うちの近所の地区で
オープンして一年ちょっとの店に
入ってみた
いつも行列ができていたり
そうでなければ
「準備中」ということだったりする店で
めったに入れない
人気店
ネット上でも
評価がとても高い
細かな分析や知ったかぶりを披露したがるラーメン通たちが
言葉をきわめて絶賛している
それが
帰途
ふと見ると
午後3時過ぎだったからか
行列がなく
「営業中」だったので
とっさに
冒険のつもりで入ってみたのだ
いちばん凝った
味噌ラーメンを注文する
1350円もする
チャーシューが三切れ
ゆで卵がひとつ
大判の海苔が三枚
真ん中には
輪切りの葱が小山をなしていて
悪くはない
4種類の味噌を混ぜ
ピーナツバターや練りゴマを混ぜ
豚の背脂の甘みをあわせ
そこに大量の生姜を入れて
濃厚な味にしているが
スープ自体はぎとぎとしていないところへ
太麵が入っている
うまい
とは
言えるんだろうな
よく
頑張っている
ラーメン通は
きっと
そう評価して
すばらしい
と言うのだろう
うまい
とは
言えると思うよ
たしかに
でも
ラーメン嫌いのわたしとしては
こんなもんか
と
思ってしまった
スープを啜ったり
麺を口に運んだりして
はじめの
五口ぐらいは
うまい
食べていくうち
もっと
うまくなるかな?
と
期待する
しかし
もう
それ以上の味覚は
出てこなかった
濃厚に混ぜた味噌の味や
そこにぶっこっまれた生姜の強い味以外には
もう
なにも出てこない
チャーシューも
それらの味を突き破ることはない
海苔も
べつの味はもたらさない
もちろん
ゆで卵など
意外性を提供してはくれない
努力しているのは
認める
頑張ってるよね
でも
はじめの味わいを超えるような
さらに奥の
さらに意外性に富む味覚との
出会いは
食べ続けていっても
もう
出てこない
これなんだよな
ラーメンって
何度か
麺を口に運び
スープを啜ると
あとはもう
同じ味ばかりに耐えて
食べ終えていくほか
なくなる
これを避けるために
どれだけ
ほかの料理のシェフたちが
苦心惨憺
していることか
ひさしぶりに
太宰治の言葉を思い出してしまった
生きて行く力
いやになってしまった活動写真を、おしまいまで、見ている勇気。
『碧眼托鉢』
まあね
頑張ってるのは
わかるんだよ
でも
味のべた塗りだ
麺を噛んでも
スープを啜っても
どこも同じ味
金太郎飴だ
味が強過ぎるから
こう
なってしまう
大阪の
小汚い安饂飩屋のほうが
最後まで
よほど
飽きさせない
こわいよね
頑張ってたって
ダメなものは
ダメなんだよ
ひさしぶりに
正宗白鳥の言葉も思い出してしまった*
苦労したって拙いものは拙いし、
正宗白鳥『明治文壇総評』
*参考
駿河昌樹 『なんといっても正宗白鳥』(2010、散文ブログ「朝狩 asakari」所収)
https://asagari.blogspot.com/
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