「マチルド皇女ですよ」とスワンは私に言った。
「ご存じでしょう? フローベールやサント=ブーブや
デュマの友人の。ナポレオン1世の姪なんですからね。
彼女、
興味が湧いてくるでしょう? ちょっと話しかけてごらんなさいよ」
マルセル・プルースト 『花咲く乙女たちの陰に』
上野駅のわきにあるスペイン酒場は
Vinulsと綴られていて
ヴィニュルスとかヴィヌルスと呼ぶべきだと思うのだが
カタカナでは「バニュルス」となっている
その店の近くを通るたびに
上野の不思議のひとつとして思い出す
せめて「ヴァニュルス」とでも表記すべきかと思うが
スペイン語の辞書では「v」の発音記号を「b」で書くから
「バニュルス」でもいいのかもしれない
さんざん日本酒を飲んだ後で
べつの酒が飲みたいと思ってこの店に寄って
無添加のロゼワインを一本取り
イカスミのパエリアと
スペイン風オムレツのトルティージャを頼み
舗道のわきのテラス席に座って
のんびりと飲み食いした
舗道を行き交う人たちが絶えず
雰囲気はにぎやかだが
猥雑でしゃれっ気のない上野駅ながらも
ヨーロッパの気楽な食い物屋のテラスに座った感じがあって
アメ横のわさわさした飲み屋に紛れ込むのとは別種の
街への混ざり込み感と解放感が同時に味わえた
今夜のこのテラスはいいね
一生記憶に残りそうな雰囲気だ
いっしょに飲んでいる相手にそう言いながら
夏の大きな祭りの時に
スペイン寄りのフランスのバイヨンヌで
あちこちで大騒ぎの続く夜
テラス席に座って食べたのを思い出した
あのバイヨンヌの夜とじかに
今夜の上野駅わきのテラス席の夜が繋がっているようで
あの夜にいっしょだった人が
じつは今も目の前にいて
バスクふうの料理の皿を前に
ナイフとフォークを使っていてもいいように思えた
もう30年以上も前の
夏の夜のことなのに
もうその人も
14年前に死んでしまっているのに
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