正気を保つのが難しい時代になっているのではなく
もともと正気はつくり出し続け維持され続けるべきもの
殴られたり刺されたり切られたり潰されたりしたら痛いもので
そういうお互いさまの痛さの与えあいはやめようというのが正気
これをやればそれに発展してそうしたらあれに発展して
そうなると大がかりに自分や他人の体が痛くなると想像するのが正 気
そんなふうに痛みを大がかりに応酬しあうのは止めようというの が正気
こういう思いはどうやら自然に維持されるものではなく
カッとしたり物欲しげになるとすぐに蒸発するのを
歴史は教えてくれるものだから歴史の勉強は大事だと思うのも正気
理屈や議論を深くクネクネと方々にねじくり過ぎれば
他人に痛みを与えるのも善いとなってしまうと知っている のも正気
だから理屈や議論をヘンにクネクネさせ過ぎないように
程度や加減をわきまえるのもたいそう大事なのだが
こういうわきまえの仕組みは自然に脳に組み込まれているものでなく
脳を使う「わたし」がいつも脳の上に居続けないといけないわけで
こいつはなんとも大変な責務だけれどもうどうにも逃げようはない んだと
覚悟してニンゲンをやっていく他ないと諦めるのも正気
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