2018年3月22日木曜日

無から有を得るための狩猟の仕掛け


  
「人生のなかで
「いまが
「いちばん幸せだと思う?
「それとも
「いつがいちばん幸せだった?

ふいに
そんな問いが
来た

メールのやりとりなどを
まだ
時どきしている
中学校時代の旧友から

いろいろな意味で危険な質問だが
とりわけ
答え洩らしが起こりやすいのが
いちばん危ないところ

どう答えたものだろう
と思案したが

「懐石料理のように
「次々いろいろなものが出てきたので
「その時々に
「さまざまな味わいがあったように思います

こんな答えをしておいた

しばらくして

「『たら』や『れば』がないので
「いい答えだと思う

などといった返事が来た

~だったら幸せだったのだが…とか
~していれば幸せだったのだが…とか
そんな答えをするのを
期待でも
していたのか?

つまらないシアワセ本や
テレビのヴァラエティなどで仕入れた
他人の簡易シアワセ評価方法でも使って
こちらの人生のシアワセ度でも
測ろうとしたのだったか?

ちょっとがっかりしたが
そんなところのある人だと知っているので
驚きはしなかった

ともかく
こんな質問をされた場合には
手放しに
「昔もシアワセだったし
「いまも最高にシアワセです
とでも
答えておくのが
やっぱり最高なのだろうなと
思い直した

こちらのシアワセなど
話のネタにされる時以外は
そもそも他人にはどうでもいいのだし
だいたい
内部でだけしか測りようのないシアワセなるもののありようは
どのように伝えようが
他人には伝えようがないので
大ざっぱに
どうせなら最高度に
言い伝えておけばいいのだろう

かりに
シアワセでないという気持ちがあるのだとしても
言霊ということもあるし
空っぽなものには内実が埋まって来ようとするということもあるし
大きな器のようなものとして
とってもシアワセ
と言表化しておくに越したことはないだろう

ことばは真実を伝えるためのものでなどない
自然に内実が詰まってくるように
空っぽの音声や文字を物質界に仕掛けるためのものだ

無から有を得るための狩猟の仕掛けがことばだ




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