昨年よりも老いて祭の中通る
能村登四郎
神田明神から
たまたま
歩いて二十分ほどのところに住んでいるので
ひさしぶりの神田祭を
ほんのちょっと
一部分
実地に見てきた
ぜんぶなど
とても見切れない
祭は好きではないほうだが
ボーッと遠巻きに眺めるのは嫌いではない
じぶんの人生も
じぶんさえも
じぶんの意識さえも
すべて遠巻きに眺めて生きてきたが
そうだとすれば
祭は逆に
じぶん程度の近さにはある
とも言える
ボーッと遠巻きに眺める
と書いたが
はたして
ボーッと遠巻きに眺めるのは
非行動だろうか?
非行為だろうか?
非活動だろうか?
との
問いは
心によく浮かばせる
もう
表面的には青二才ではない
答えは出ている
答えは出てしまうものだ
苦労して出さなくても
出てしまう
心も
精神も
世知も
一度も熟したことはないが
馬齢を重ねてみれば
どんな問いにも
答えは出てしまう
勝手に
答えというのは
意識の庭に転がっていたりする
ふと気づくと
心そのものが答えになっていたりする
肉体でさえ
答えそのものだった
と気づく
ボーッと遠巻きに眺めるのも
行動であり
行為であり
活動である
通俗的に理解される際の(理解できたつもりになっている際の)
「三島由紀夫」のお得意技のような
児戯めいた論理の罠にはまって喜ぶのは
やめよう
祭や神輿担ぎといえば
連鎖的に浮かんでくる三島由紀夫についての
世にも代表的な通俗的理解のひとつ
「眺める者」から「行動する者」へ三島は変貌を遂げたのだ!!!
というようなわかりやすい認識に
だから
もちろん
神田祭の場に居合わせながらも
共鳴はできない
『仮面の告白』で
語り手の幼時の家の庭に
夏祭の一団がなだれこんでくる
あの有名なくだりが
思い出されることは、まぁ、思い出されはする
植込が小気味良く踏み躙られた。
本当のお祭だった。
私に飽かれつくしていた前庭が、別世界に変わったのであった。
神輿は隈なくそこを練り廻され、
(中略)色もそのように、
あるときは金が、あるときは朱が、
そこ全体を支配している一ト色のように思われた。
が、唯一つ鮮やかなものが、私を目覚かせ(おどろかせ)、
私の心を故しらぬ苦しみを以て充たした。
それは神輿の担ぎ手たちの、
世にも淫らな・あからさまな陶酔の表情だった。・・・・・
くだらない描写だし
ひどい書きようで
リアルさを若き三島が放棄して書いたのがよくわかる箇所だ
まぁ、長編処女作だったのだからしかたもないが
よくもまぁ
坂本龍一の父の鬼編集者・坂本一亀が受け入れたものだと思う
しかし、まぁ、
商売優先となれば
なんでも通る
通してしまう
わたしは三島由紀夫が嫌いではない
むしろあまりに人工的な論理と演出と構成のゆえに
球体関節人形の面白さのように愛している
出来の悪い醜い娘でも
つややかな髪や
透きとおるような白い肌のひとつもあれば
いとおしいものだ
たぶん
そんな娘のように
三島由紀夫の小説を愛している
わたしがはっきりと性交した小説群のひとつに
三島由紀夫の真の肉体である
あの小説群がある
とはいえ
作品の要所であるはずのくだりを
「神輿の担ぎ手たちの、世にも淫らな・あからさまな陶酔の表情」
などと
あまりに乱暴に手を抜いた表現で済ますとは
どうしちゃってるのか?
三島由紀夫?
とは思う
三島由紀夫といえば
セックスやエロスが濃密に絡まりあった
それでいて
高雅さを失わない品格を保った書き手だったと
これも
ちょっと安易な通俗理解がまかり通っていがちなものだが
三島由紀夫とセックスしても
たぶん
あまりよくはなかっただろうな
と感じられてならない
やさしい人だっただろうとは思うのよ
あの人
でも
けっこう三擦り半だったんじゃないかしら?
けっこう
すぐに射精しちゃって
後は向こうなんか向いちゃって
煙草に火付けちゃったりするタイプ?
だいたい
三島由紀夫といえば祭だ!
神輿担ぎだ!
法被だ!
鉢巻きだ!
飛び散る汗だ!
というイメージ連鎖に陥りがちになりはするものの
三島由紀夫の「祭」は
所詮
東京のエッホエッホの「祭」で
京都のあのノンベンダラリとした
悠長な
進んでいるのか退いているのかわからないような
ダンラダンラ
ネチョネチョ
グッチョグチョの祭とは
まったく違う
京都の祭は
男が口いっぱいに女の膣を舐め続けてやるような
じっとりと時間をかける
静かで隠微で
しかし
長時間かけて行なうセックスそのものだと
わたしは理解している
東京の祭は
京都のそういうネチョネチョグチョグチョには
かなわない
作家でいえば
谷崎潤一郎しか
このネチョネチョグチョグチョは文体化できない
一見エロの王者であるかのような
あの川端康成でも
はるかに淡白だっただろう
三島由紀夫ではダメ
ぜんぜん
あら、もう入れちゃうの?
もう、出ちゃったの?
煙草なんてまだ吸わないでよお
あたし、これからなのよ
なまじっか
心やさしい人だけに
こういうのは
ちょっと悲劇である
近松門左衛門好きのわたしとしては
三島では足りない
ボディービルで筋骨隆々になったとはいっても
射精を何十分も耐えて持ち堪える筋肉は鍛えられない
ちょっとぉ
もうちょっと舐めててよお
なのである
近松門左衛門なんかは
そっちのほうが
すごかったと感じられてならない
京都の祭が
ながながとした真の性的体力と
それ以上の性的精神力の要求されるセックスだとすれば
三島由紀夫よりも
昨今騒がれているジャニーさんのほうが
よほどそれに近い御仁だったのではないかと感じる
ジャニーさんは
きっと乱暴な性戯はしない人であっただろう
ナメクジのようにトロトロと優しく触れてきてニュロッと挿入した
したのではなかったか?
時間を
理性のリの字もないような時間に蕩かしてしまう
真に異様な性人ではなかったか?
似た人としては
もちろん
折口信夫という性人が思い出される
わたしの先生のひとり加藤守雄先生は折口信夫の第一弟子であった
若い頃
箱根に折口信夫と合宿に行った際
離して敷いていた折口信夫の布団が
夜のあいだ
いつのまにか若き加藤守雄先生の布団に接近してきている
眠いので気にしないで寝ていたら
折口信夫の脚がこちらの布団の中に入ってきて
こちらの脚に絡まってくる
そんな経験を『わが師折口信夫』に書いていた
加藤守雄先生はそこで脱兎のごとくに出奔してしまうのだが
今思うに
加藤守雄先生
どうして折口信夫大先生を受け入れなかったのですか?
と
ちょっと叱りたくなってもくるのだ
歳を重ねてきて
わたしも狂ってきたか?
それとも広大無辺の悟りに達してきたのか?
ともあれ
加藤守雄先生を介して
不肖わたくしめは
折口信夫先生の孫弟子に当たっているのである
三島由紀夫が
自衛隊市ヶ谷駐屯地へ乱入し
みごと割腹自決を遂げ
彼を苦悩させ続けたあのバッタのような頭を切断させた後
彼の母親の平岡倭文重(しずえ)は
「公威(きみたけ)がいつもしたかったことをしましたのは、
これがはじめてなんでございますよ。
喜んであげて下さいませな」と
弔問客に語ったという
これを
熱狂を「眺める者」でしかなかったわが子が
「行動する者」へと完全な変貌をして
めでたく
立派に死んだ
と母親が理解したと理解する通俗的理解法が
やはりあるのだが
わたしはむしろ
母親の平岡倭文重が
平岡公威という表象を舐めるように「眺め」続けながら
この表象と45年間にわたって
長い長いセックスを続けてきたように思え
あまりにタフなこの情欲と性力に驚かされてしまう
平岡倭文重とのセックスは
おそらく
男にとっての性の試金石であっただろう
45年ほどの長い時間
平岡倭文重は執拗に膣舐めを求め続けてくるに違いない
平岡倭文重こそが
怪物であったように思う
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