2023年5月24日水曜日

「ええ匂いがするわ。若いひとやな」

 


娘がだいぶ成長した頃

五島美代子はこう詠んだ

 

けものめく匂ひをたつる時ありて()が長き髪梳くはなやまし

 

幼かった頃や少女の頃とは

もう

娘の匂いが違っている

 

「けものめく匂ひ」

と母は感じる

成長し

もう女の子の匂いではなくなっているのを

母は嗅ぎとっている

 

いつもいっしょに暮らしてきた母親だからこそ

娘の「匂ひ」の変化を敏感に感じとるのか

なるほどと思うが

なかなか歌に詠まれるのは少ない

つねに歌人であろうと心がけている五島美代子ならではの

細かな神経の行き届いた作業だろうか

 

有名な歌人だった夫の五島茂にしても

ひょっとしたら

娘の「匂ひ」の変化を感じていたかもしれない

しかし

男性である父親が娘の「匂ひ」の変化を歌うというのは

なかなか難しかったかもしれない

気づいてはいても言えない

作品化もできない

そういうテーマというものもあり

そういう時代もある

1940年代であれば

まだまだ

そういうところには

男性歌人は踏み込みづらかったかもしれない

 

しかし

同じ時代

同じ文芸の世界でも

小説家たちは

もっと果敢にこういうテーマにも踏み込んでいた

小説と比べて

短歌や俳句に関わる男性たちは

いつも表現上の安全圏に居続けようとしてしまうのではないか

そういうところはあるように思う

表現の格式や風格や美しさにこだわり続ける

といえば聞こえはいいが

よそよそしさとも

勇気のなさともいえる

文芸のさまざまな表現のあり方を見まわしてみると

こういった性格というものが

短歌のみならず

詩歌全般にあるように見える

 

母から嗅いだ娘の匂いということでは

川端康成の『古都』に

印象的な場面がある

 

煩雑になるので

物語の細かいことは省くが

主人公の千重子の家に客が来た夜

客に一部屋を渡す必要から

めずらしく

父母といっしょに千重子も同じ一部屋で寝ることになる

その時に

母親が娘の匂いについて言う

 

しばらくして、客と、父と母とが、奥二階へあがって来た。
「ごゆっくりおやすみやす」と、父は客にあいさつしていた。
母は客の脱いだものをたたみ、こちらの部屋へ来て、

父の脱いだものをたたもうとするので、
「お母さん、うちがします」と、千重子は言った。
「まだ起きてたの?」と、母は千重子にまかせて、横たわると、
「ええ匂いがするわ。若いひとやな」と、明るく言った。

 

はるかに年上の母親が

娘が横になっていた布団に身を横たえる時に

ふっと

娘の残した匂いを嗅ぐ

その時に

「ええ匂いがするわ。若いひとやな」

と母親に言わせるところに

川端康成という作家の凄さがある

 

数多い文学者の中でも

こんなセリフを

ここぞという場面で書き入れることができるかどうか

文学者の力量というのは

このような一行に現われてくる

 






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