いくら歳を重ねても
知らないことばかりで
犬も歩けば棒に当たるように
どこへ行っても
前後左右
どちらを向いても
さっきまで
知らなかったことが
いま
ちょっとばかりの知になって
ちょっとばかり
脳細胞に染み込んでくる
おかげで日々は楽しい
いつでも
いつまでも
このあいだなど
エレベーターの中で見ていた
アルファベット学の本に
CやGの話があって
長いこと知らないまま
過ごして来てしまったことが
語られていた
Cはもともと
ギリシア文字のγ(ガンマ)の一字体で
Gの発音を示していた
だからラテン語の個人名の略記号に
名残を留めていて
C.をGaiusと読み
Cn.をGnaeusと読んだりする
こういうCを[k]音で発音していた
エトルリア語の影響を受けて
しだいにCを[k]音で発音するようになったが
そのせいで[k]音を表わしていたkは
次第に用いられなくなっていった
Cを[k]音で発音するようになったので
もともと[g]音を表わしていたCの
使用法も変更せざるを得なくなり
Cの字を変形して考え出されたのが
Gの文字だった
プルタルコスによれば
Gの考案者は解放奴隷の
カルウィリウス・ルーガだったという
第二次ポエニ戦争の始まった頃の
発明だったそうな
そういえばもともと
小文字というものは存在せず
中世期にラテン語写本製作のために
考案された字体だったという
ローマン体として現代に伝わる
ふつうの小文字の字体は
八世紀から九世紀のカール大帝の時代
あのシャルルマーニュの時代に
宮廷に招かれたアルクインという
イギリスの神学者・古典学者による
考案ないしは改良によるものだった
だからシャルルマーニュ小文字
Caroline minusculeとも呼ばれるが
小文字の発生年代がこんなふうに
しっかりわかっているなんて面白い
Caroline minusculeのことも
ろくすっぽ知らず
CやGにまつわることも知らず
これまで人界のことを
だいたいはわかったつもりになって
生きてこれていたつもりだったのかと
ぼくはエレベーターの中で愕然となった
世界を知るとか人界を知るうえで
きわめて大事な部分を
あまりに平然と欠落させたまま
肺呼吸だけを続けてきたのだったかと
驚天動地っぽいショックを受けた
なぁんだ!
ぼくはこれまで
ぜんぜん生きてなどいなかったんだ!
ぜんぜんものがわかっていなかったんだ!
Caroline minusculeや
CやGにまつわることも知らないぐらいだから
もっと重要な基本事項の数々さえ
ぜんぜん知らないで肺呼吸しているだけなんだろう
なぁんだ!
ぼくはいまでも
ぜんぜん生きてなどいないんだ!
ぜんぜん世界に目を開いてなどいないんだ!
こう思うと
逆に
せいせいとして
身もこころも
すっかり軽くなってしまった!
ぼくはいまでも
ぜんぜん生きてなどいないんだ!
ぜんぜん世界に目を開いてなどいないんだ!
そう気づくと
なんだか
底知れぬうれしさが
吹き上がってくるようだった!
0 件のコメント:
コメントを投稿