文芸は書きてぞ卑し書かずして思ふ百語に揺れ立つ黄菅
安永蕗子
わたしは詩というものに
ずいぶんつよい夢と期待とあこがれを
ほんとうは持っているので
じぶんが書くものを詩などとは
まったく呼べない
たしかにわかち書きの
詩のかたちをした書きかたをするけれど
ほかの形式ではぜったいに得がたい味わいを
詩なら湛えていないといけないと思うし
そんな味わいがじぶんの書くものにあるとは
どうにも思えないものだから
やっぱり詩を書いていますなんて
そんな厚顔無恥の極みみたいなことは言えない
この味わいというものがむずかしくて
むかしの詩にあった味わいが普遍的かというと
いまの時代のたいていのひとには
ぜんぜん通じなかったりする
つい数年前においしく思えた言葉でさえ
もう色褪せて見えたりもする
繊細さはなにかといいことのように言われるが
あまり繊細に緻密にやられると
こちらの息がつまるようでつらかったりする
かえって気の利かないぶっきらぼうな言辞のほうが
世の荒れ模様のなかでは
意外と頼れる感じの魅力を発揮したりもする
わたしは詩というものに
ずいぶんつよい夢と期待とあこがれを
ほんとうは持っているので
どうしようもないほど徹底してきびしく
胸をいつも意識して切開してみているかのように
寛大さと視野の広さと吟味の努力をじぶんに強いている
だからといってどうだということにもならないが
全身全霊でレーダーにだけはなろうとして
いつも詩のほうへ目も耳も顔もからだも向けている
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