トランプ革命が始まってからは
世界中の人々が発信し続けるXの情報を追うのに忙しく
楽屋落ち的お笑いやおふざけや冷笑を朝から晩まで脳に流し込みつ
奴隷精神のいっそうの深化推進運動中のニッポンには
まったくつき合う暇がなかった
夢は第二の人生である
と『オーレリア(Aurélia ou le rêve et la vie)』で書いた
ジェラール・ド・ネルヴァルGérard de Nervalをもじって言えば
政治と社会は第二の身体であるから
トランプ政権のいちいちの決定や所作や方向は
毎日毎日わたしに刺激を与え続け
政治的思索や瞑想に深く引き込もうとする
政治的思索や瞑想は
もちろん
浅いところでも
アメリカ革命やフランス革命についての
概観やさまざまな出来事
あれこれの細部までも含めての
多岐にわたる多量の書籍の繙き直しを要求してくるもので
堕落というより糞溜めの中で溶け切ったニッポンマスメディアが
チープな左翼くずれの決めつけ趣味よろしく
頭からトランプを腐すだけの言説のあれこれを見て速断して足れり
などという
インスタントな知ったかぶりとは
かけ離れた態度を求めてくる
やはり愚か過ぎる時代に生きることを強いられたフローベールFl
『紋切り型辞典(Dictionnaire des idées reçues)』を思い出しておこう
「
(La bêtise consiste à vouloir conclure.)
フランス革命についての思索は
20世紀の歴史学や政治思想を繙く以前に
19世紀のロワイエ-コラールRoyer-Collardや
歴史家であり政治家であり
七月王政の最後の首相でもあったギゾーGuizotなどの
純理派Doctrinairesの解釈を見ないといけないし
その他にも
革命やナポレオン体制や王政復古をじかに経験した
スタール夫人Madame de Staëlや
コンスタンBenjamin Constantや
シャトーブリアンChateaubriandらの思索を見ないと
カトリック政治思想や自由主義者たちの思索や
ロマン主義者たちの思索も見ないといけない
ニッポンでは恋愛心理小説『アドルフ(Adolphe )』
ほんのわずか紹介されている
急進的といえる自由主義の政治理論家だったコンスタンは
ルソーの
各人は国家に対して自己の権利を放棄しなければならない
という全体主義擁護説を否定し
デモクラシーは必ずしも自由主義ではない
と明言している
そうして
どんな政治学の研究者も
此処のところの区別を軽率に見失ってはならない
とも
すでに
見事な明察というべきだが
自由についてのコンスタンの意見も瞥見しておこう
自由とは
個性・独自性・独異性の勝利(le triomphe de l'individualité)である
すなわち
少数者を多数者に服従させる権利を要求する大衆に対する
勝利と同
専制主義によって支配しようとする権威に対する
個性の勝利である
私はこのように解釈している
自由を個性や独自性や独異性と結びつけてのみ考えるばかりか
デモクラシーと自由主義の不一致を考慮に入れて政治を考えるとこ
コンスタンの思索の優位がある
社会と個人についての問題を
もう少しコンスタンに語っておいてもらおう
人間的存在においては
一部分(une partie de l’existence humaine)は
必然的に個人的であり
かつ独立しているので
この一部分は当然ながら社会の全権能の外にある
(…)もし社会がこの限界を踏み越えるならば
名義上生殺与奪の権利があるとして
それを行使してくる専制君主と
社会は罪を犯すことになる
侵害者となるのでないかぎり社会はその権限を超えることができな
多数者は暴徒とならないかぎりその権限を超えることができない
(…)ある権威がこうした行為を犯す時
どのような源泉にもとづくと言おうとも問題外であり
それが個人とか国民とかと自称しようとも意味をなさない
その場合の権威とは
それが圧迫する対象となる市民を除く全国民であるわけで
この点において
もはやその権威は適法ではない
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