ときどき
フローベールの書簡を見直しておくのは
よい
というよりも
避けがたい
どこまでも
むなしく
軽薄に
終焉の舞いを続けている
世の中というもの
社会というもの
世界というもの
人類というものに
やはり
とうの昔に
ついて行けなくなっている身としては
美とは不可能でなくして何だろう
詩とは残酷以外のいったい何だというのか
そして
人間の心とは何なのだ
どこにその心を見出せばいいのだ
いつだって心は
大部分の連中にあっては
人間の一生をしばしば満たしてしまう広大な思惑のあいだで
分割されてしまう
富をなすことと
自分のために生きることとに
つまり
心は
商売と消化作用のあいだでせばめられてしまう
(シュバリエ宛、1837)
だれひとり
いまでは芸術それ自体を問題にしていない
ブルジョワのなかに
私たちはどうしようもなく埋没してしまっているのだ
20世紀なんて見たいとは思わない
30世紀にはまったく事情は違ってしまっているだろうし…
(シャントピー宛、1865)
社会的ユートピアの根底をなすものは
圧制、反自然、魂の死……
(ジュネット夫人宛、1864)
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