2025年3月26日水曜日

いつからか、僕が不在である部屋

 

 

 

 

詩集の表題と同じ名の

「淡水魚」という渋沢孝輔の詩には

 

いつからか、僕が不在である部屋。

 

とあって

彼がこの詩の題名を詩集の表題に使ったのも

なるほど

と思わされた

 

 

いつからか、僕が不在である部屋。奇妙な音楽に耳傾けな
がら、歳月は渾沌としている。そしてある日、どこからか亡
霊のように帰ってきた僕は、なお坐り心地の悪い椅子にかけ、
窓を開けて空を見るのだ。欅の木のかなたの、秋の空を?
激しく燃え、熱のない炎は一面に攪乱されて、いまや昼と夜
とが交代しなければならず、僕はかつての不吉な命を、眠り
のなかに葬るだろう。

 

 

渋沢孝輔については

昔よく会って

意見の交換も多かった詩人の関富士子が

明治大学在学中に習ったか

親しんだそうで

「渋沢先生」と呼んでいた

 

わたしには

いくら読もうとしても

頭の言語叢の上を上滑りしていくばかりの

苦手な詩人である

 

嫌いなのではないが

つまらない

すごく期待して読むのに

ぱさぱさの

粗末な紙を捲らされるような気になる

戦後に詩界を支配した偏った詩語の域内で留まって

ついに詩の外に出なかったものを

詩として維持し続けた人のひとりと感じる

 

勝手に

わたしひとりでそう「感じる」だけで

世にいう現代詩推し連中は

褒めそやし

頭上に高く押し戴いて

いつまでも

時間と意識を隷属さえていくのかも

しれない

 

とはいえ

嫌いなのではない

すごく期待して

目につくたびに

捲り直す

ここでもっとパアッと飛んでほしいなあ

ここも!

そこも!

もっとバァンと!

ほら!

ほら!

ほら!

などと

吉増剛造の初期の「!」の嵐のような

声援を送りたくなる

渋沢孝輔の詩句

 

嫌いではないので

数年前に神田の古本まつりで買ってしまった

立派で重い装幀の「渋沢孝輔詩集」(小沢書店、昭和五十五年)など

いつも手元に置いて

週になんどか

開いてみたりしているのだ

 

きのう

ようやく詩集「淡水魚」の部分を終えて

(なんと

59ページのここまで来るのに

三年はかかったのだ!)

つまらなかったなあ

つくづく

つくづく

しながらコーヒーを飲んでいる

 

プレヴェールふうの

「会話」なども

詩集には含めていたりするのに

おもしろくないんだよなあ

どうしてだろうね

などと

他人事なのに

思いやっていたりする

 

とはいえ

嫌いではないので

最後の「歳月」などには

気持ち

よくわかるよ

と言っておきたくもなる

 

よくわかるけれども

わたしは

同意も共鳴も

併走も

できない

とも

言っておきたくなる

 

 

歳月

 

〈この世界をわたしは望んだことはない〉

〈けれどもそれがおまえの運命というものさ〉

日々が重ねられ

古びた地球のうえに

わたしはそれゆえ自分の運命を刻んだ

〈この世界はわたしの作品なのだ〉

〈この世界はおまえの限界なのだ〉

 

 

いいのは

最初の一行だけで

あとは

ぜんぶダメ

 

これが

わたしにとっての

渋沢孝輔の詩なのだ

 

わたしが彼の友人ならば

わたしが彼の編集者ならば

即興にこう書き換えて

返しただろう

 

 

歳月

 

〈この世界をわたしは望んだことはない〉

〈そしてそれはおまえの運命でさえない〉

日々は重ねられ得ず

古びた地球

などと

知ったかぶりに洩らす

知を装った痴に浸り切った連中の肉を

きょうも

霊として通り抜けて

自分もなければ

運命を刻むこともない

わたし

〈作品などない〉

〈限界は非限界と反限界をつねに隣接する〉

 

 

ちょっと

直し過ぎちゃったかな?

 

でも

つや消しで

(それが渋沢孝輔ならではの味)

渋いけれど

「山麓の部屋」などは

よかったかな

 

 

山麓の部屋

 

そとは暗く 山々の麓の野に
いまは物音もない
冴えて渡る風の中を
遠くの方に いくつか灯も煌いているだろうに

 

そとは暗く オレンジ色の部屋の中に

怠惰な心が重く

僕はただ聞いている やっとの思いで

音のない音を 語り手のない物語を


暗い幼年時代を 荒れ果てた少年時代を
虚ろな死人たちの夜のほか
それらの 形見とてなく


そとは暗く 部屋の中に
光はオレンジ色の眠りを眠り
風の声だけが いまも昔のままに澄んでいる

 

 

けれど

こうして見直してみると

よいのは

第一連と

第二連の一行目まで

 

「怠惰な心が重く」から

一気に

詩は

詩から離れて崩れ

第三連の見るも哀れな衰弱

そして

水増しされ切った紋切り型処理の

第四連へ

 

まあ

ソネット形式を

維持したかったのだろうけれど

いったん

書き上げた後で

ぜんぶ

切り刻んで

べつの域へ進めば

よかったのに

 

 






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