スタンダール(Stendhal 1783-1842)が
こう書いている
百年後に誰が
ヴィレール氏やマルティニャック氏のことを
語るでしょうか?
日々移りゆく政治情勢への
また
そこで踊る登場人物たちへの
過度の注目などそもそも不要であり
むなしいことでしかないと
とりあえずは
ここに
読み取っておいてもよい
たしかに
約200年近く経った現在
フランス復古王政における首相職を務めた
ヴィレールやマルティニャックのことを語る者は
ほとんどいない
スタンダールの予言は
みごとに
当たっている
もちろん
ナポレオン権力消滅後の復古王政期における
政治動向に注目する者には
どちらの名も興味深い
ジョゼフ・ド・ヴィレール伯爵(Joseph de Villèle)は
1821年から1828年まで首相を務め
粗いまとめ方をしておけば
ウルトラ王党派として
時代にそぐわない反動政策を採った
ジャン=バティスト・シルヴェール・ゲイ・ド・
(Jean-Baptiste Sylvère Gaye de Martignac)は
ヴィレール失脚後に
中道王党派として現実主義的な妥協策を採り
検閲廃止の法令を通したりもしたが
極左と極右から攻撃され
反動の王シャルル10世は彼を更迭する
ヴィレールもマルティニャックも
自由主義勢力に対しては穏健な対応をしたが
これを快く思わないシャルル10世は
次に
ジュール・オーギュスト・アルマン・マリ・ド・
(Jules Auguste Armand Marie, prince de Polignac)を
首相とする
アンシャン・レジームの亡霊ともいうべき
絶対主義と王権神授説を信奉するポリニャックは
いまでいえば大変なブーイングで迎えられ
王党派からさえ冷笑されるが
愚かさの極北たるシャルル10世を王とするかぎり
こうした異常事態は平然と起こってくる
この頃のフランスは
農作物の不作から深刻な不況に陥っていて
労働者ばかりか
ブルジョワも
ポリニャック内閣に不満を表明していた
これに対してポリニャックは
報道の自由の制限や
下院の解散
有権者の4分の3の投票権剥奪
新たに有権者を決めての下院選挙実施
などという狂気の策を「七月勅令」として提示する
これが引き金となって
いわゆる七月革命が始まることになる
国民の不満を逸らすための
アルジェリア侵略も
ポリニャックが始めたことだった
大文学者の
透徹した予見力こそ
与すべきもの
…などと言い添えて
ひと昔前なら
文科的教養の優位を謳っておけたかもしれないが
現代の令和日本においては
二百年後の日本で
だれが
スタンダールのことを
語るでしょうか?
とも
つけ加えておかねば
ならない
ようである
豊臣秀吉の聚楽第が完成した時
だれかが
壁に
おごれる者は久しからず
と落書きをしたという
これを見た秀吉は
落書きの隣りに
おごらざる者も久しからず
と書かせたという
1518年に編まれた小歌歌謡集『閑吟集』には
何しようぞ くすんで
一期は夢よ ただ狂え
(何になろう まじめくさっても
一生は夢さ ただ狂え)
とあるが
1537年生れの秀吉は
やはり
「一期は夢よ ただ狂え」
の精神の中に
深く
浸かって
いたものだろう
自分の手中に入った権力の
無数の糸の数々を操り
豪勢に使い切って
黄金の茶室を作るのも夢なら
大量の敵を処刑して
根絶やしにしていくのも夢
自分という夢が
ほかの自分という夢たちを
這いつくばらせ
苦しませ
息の根を止めたり
時には生かし続けさせたり
というのも
みんな
夢
おっと
スタンダールの
ちょっと大げさに言えば
思想の
核心ともいえる
エゴティスム(égotisme)を思い出しておこう
これは
エゴイズムとは違う
スタンダール研究では
いろいろ事細かく説明されて
語り出すときりがないが
唯一の
一回きりの
出現としてある
他のだれでもない
他の何でもない
「この私」というもの
その固有性に
ぴったりと密着して
意識し
観察し
享受し
記述し続ける態度を言っているものと
わたしは理解している
「この私」の
唯一無二性への
徹底した
愛着と
哀惜と
崇敬とが
われらがスタンダール師の
エゴティスムである
と
わたしは理解している
古今東西
無数にいる作家たちから
スタンダールを際立たせるのは
このエゴティスムである
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