立体曼荼羅が見えていた
どうやら
地上にいるあらゆる人間のすがたが
ひとりの取りこぼしもなく
くまなく
見えている
道行くひとびとや
作業しているひとびとを
高いところから見下ろしているような
そんな限られた視野ではない
地上のあらゆるところが見えていて
見透かすことができていて
戸外も建物のなかも
乗り物のなかも
海に潜って貝を採っている海女たちさえも
すべて見えている
眠っているひとや
ソファにだらっと倒れ込んで
スマホを見ているひとなどもあわせて
だれもがなにかをしている
なにかの状態にある
無数などという曖昧な把握でなく
数えれば確実に数えられる数で
いまの地上の全人類が見えていた
なにかをしている
なにかの状態にある
ということは
だれもが
ほかのことをしておらず
ほかの状態にないことを意味する
つまり
選択された一状態にあり
限定されており
ほかの可能性を捨てており
ほかのことができる能力を閉じている
そのように
限定され
存在を狭くされ
限界づけられながら
あらゆるひとびとが
いまの状態や動作をせわしなく続けている
そうしていることで
ひとびとは
いまの状態や動作以外の
現在のなかに物質化できるはずの状態や動作を
つまりは顕現可能な多様な自己をあきらめ
いまのこの瞬間の地上でただひとつだけの機能となり
ひとつの運動だけをくり返す機械の一部のようになっている
立体曼荼羅を見ていると
地上にいるあらゆる人間の
そうしたすがたが
ひとりの取りこぼしもなく
くまなく
見えるのだった
限定され
存在を狭くされ
限界づけられることで
あらゆるひとびとは全体に繋がっており
全体となっていた
全体となっているので
かれらが被っている
限定され
存在を狭くされ
限界づけられた状態は
限定されず
存在を狭くされず
限界づけられない状態に
そのまま
同時になっている
これを見続けるうち
涙が出てくるようだった
たったひとりも取り残さず
現在のこの瞬間に地上に存在しているひとびとの
全員のすがたを
完全完璧に見てとることができると
このような強烈な印象に襲われてことばを失うのか
とわかった
人間とはなにか
なんであるべきか
そのなかでの自分とはなにか
なんであるべきか
そのようなことを考えようとする際の
必須の基盤となる経験がこれで
このように全人類のひとりひとりを
ひとりの取りこぼしもなく
くまなく
見たことがなければ
だれも
よく
正しく考えることはできない
と知った
睡眠から覚醒にむかう際の
幻視の
ひとつであった
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