優れたとか強いとか、そういう言葉に取り憑かれたのです。
餓鬼道に落ちた者が、いつも飢えに苦しんでいるように、
あなた達は、食物よりもっと不確かな実体の無い物に取り憑かれ、
いつも飢えて苦しんでいるんですよ。
篠田節子 『聖域』
だれもが(小さな自己顕示欲を満たすために)使う
FacebookやXやInstagramをわたしも使っている
すでに投稿数は7万や8万を超えているから
かなりたくさん利用しているともいえる
けれどもわたしには顕示する自己はないし
ごくごく若かった愚かな頃と違って今は自己顕示欲もないので
FacebookやXやInstagramの使い方は
じつは一般的な自我の幼稚園園庭のようなものではない
ずいぶんたくさんの写真をそれらには載せているけれども
ほとんどの場合どれもこれもオリジナルな自作物ではなく
だれでもネット上で見つけられる公開写真にすぎない
Facebook⇒X/X⇒Facebookというだけの操作が
自己表現とかオリジナリティとか創作に取り憑かれている人には
なにを愚かな無価値なことをしているのかと思われるだろう
物質的創造行為をしていないしオリジナリティもないので
マルセル・
しかしわたしにはこのやり方がすさまじく役に立っている
わたしが体験し続けたいのは二次元の色彩とかたちを見るというこ
電子的なかたちで写真や絵画を扱い続けることによって
色彩体験とかたち体験をかさばらないスマートなやり方で日々行え
この地上世界のほとんどのことがわたしの興味をまったく惹かない
色彩とかたちを見続けることはかろうじて未だ気に入り続けている
美術館に行ったり展覧会に行ったり海や山や高原に出かけたりして
さまざまな色彩を網膜上に映してくるのももちろんよいし続けてい
とはいえ現代ならではのタブレットやスマホなどのモニター使
いかにも簡便な疲れの少ない色彩体験やかたち体験は
まさにこの2000年代に生きていればこその得がたいものと思え
画集集めや切手集めや美術館めぐりの未来的な日常の中に生きてい
わたしがSNSに載せる写真の数々は多くが花や海や雲などのもの
自己表現とかオリジナリティとか創作に憑かれた人々には
美術的なセンスの低い通俗的な図柄と見えるものも多く載せている
しかしわたしの関心が色彩とかたちにしかないのでそれでよい
逆になんらかの意図を濃く込めていたりメッセージ性が強いものは
どんなに美しく見えるものでも載せない場合が多い
意図やメッセージがうるさく醜くて図像としての純度が損われてし
せっかくの色彩やかたちの妙がよけいな思念によって邪魔されてし
何が嫌いと言って人の意見や考えや夢や希望や感情ほど嫌いなも
美術も写真も音楽もインテリアも建築もせっかくそうした醜いもの
排除して成立しうる世界であるのだからつまらない“念”
込められた“念”はなんであれ怨念になり邪念になり因縁を生んでいく
人間のよけいな“念”を削ぎ落とした色彩やかたちをこそ存分に
美術・写真・音楽・インテリア・建築・
人間的であることとよけいな“念”
逆に“念”
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